[RIDE THE LIGHTNING] Chapter31

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「な、なんだ」アーノルドは思わず声を上ずらせる。

「インワーゲン博士です、物理学の権威とのことです」

 ノアは、何食わぬ顔でタブレットを紹介する。

「それは……存じているが」

「あなたはいったいどこから話しているんです」

『ここだ』と、タブレットに映ったインワーゲンは言う。

「それがどこかと」

 アーノルドの質問に、タブレットの中のインワーゲンは軽く眉を上げたように見えた。

『君らの目の前で話しているだろう』

 唇の動きは滑らかだが、その声はタブレットのスピーカーから機械的に響いている。

「……ふざけているのか?」アーノルドは眉をひそめる。

『ああ、君らとこの前基地で顔を合わせたインワーゲンの肉体なら死んだよ。先刻大統領が老衰で死んで、そのすぐ後にレジスタンスが押しかけてきたんだが、どうやら私は、なにか彼らの癇に障るようなことを言ってしまったらしい。それで、粛清だそうだ』

「なにを馬鹿なことを。なら、あなたは一体なんなんです」

 不快感を露わにするアーノルドの表情をよそに、インワーゲンの映像は続ける。

『私はインワーゲンだ。より厳密にいえば、君らと別れてすぐ後のインワーゲン、その複製が、インワーゲンの末路を知識としてインプットした者だ』

「コンピュータに意識のバックアップをとっていたというのか」

『それだけ、科学は進んでいるのだよ』

 アーノルドは思わず喉を鳴らす。
 ここでデイヴが一歩前に出て、やや落ち着かなげにノアへ話を振る。

「少将は今の話をどうお考えになります?」

「へ? いやぁ、どうと言われましても……この博士は口が利けて、そのうえその天才さも引き継いでおられるというであれば、我々としてはそれでもう十分なのでは?」

 ノアの返答に、アーノルドは思わずムッとした表情をつくる。咎めるように視線を向けるが、ノアはさして動じない。

「いや、君。素性の知れない人間……ともつかない何かに、我々の会話を聞かれるわけにはいかんだろう。それに、ああ、まあ、博士」

 アーノルドはあらためてタブレットを睨み据えた。

『なにか』

「あなたの頭脳は、そのタブレットの中に詰まっているので?」

『だからそう言っているだろう』

「どこか他の場所から、遠隔でこのタブレットを操作しているのではないか?」

 アーノルドが鋭い眼差しを向けると、ノアがすかさず口を挟む。

「それなら心配いりませんよ。ちゃんとこちらで検査しましたから。ネットワークに接続できるほど強い電波は発してませんでした」

「そうか……そうなのか? すると人間が……人間が、こんな小型のコンピュータに……」

 アーノルドは、インワーゲンが本当にタブレットに自身の複製を再現したのだとすれば、その行為がどうというよりも、それが現実に可能であるということそのこと自体に冒涜的なものを感じた。

「信用ならないということでしたら、検査時の資料をお見せしましょうか?」

「いや、結構。私は君たちを信頼するよ」

『ありがとう』

 インワーゲンがそう言うと、アーノルドは少し声を強めて言い放つ。

「博士、私が今信頼すると言ったのはあなたが通信をしていないという彼女と、この基地の人々の判断ただそれのみだ。はっきり言って、あなたは信用ならない」

『本当に、申し訳ない』

 タブレットの画面に映るインワーゲンは、そのひょうひょうとした雰囲気を崩さずに眉を下げる。

「少将、ホワイトハウスにレジスタンスが襲撃したというのは本当なのか?」

 話題を切り替えるように、アーノルドはノアへ顔を向ける。

「そのような情報は、他の基地にも流れています。しかし、確実な情報はまだなにも。博士に関しては、そもそもホワイトハウスにいたかどうかも」

「そうか……念のため聞くが、このカートに我々やこの基地を攻撃する能力はないのだな?」

「一応、これは一般的なタブレットですから、ネットワークに接続する性能自体はあるものと思われます。ですので、基地へのハッキングが全くあり得ないとは言えせん。とはいえ、これはつまり、そこいらの携帯端末と同程度のリスクというわけですから、特段警戒すべきものではないと考えます」

「うむ」

「それからこのカートですが――大したパワーもありませんし、それに、構造上、横転させてしまえば自力じゃ起き上がれません」

「よし。ならば少将の言う通り、この博士は天才の頭脳を伴った優秀な知恵袋として運用しよう……ではまず――」

「准将」と、アーノルドの言を遮ってデイヴが呼びかける。

「む」

「立ち話もなんですし、お話の続きはどこか、腰を落ち着ける場所で、いかがでしょう」

「そうだな。少将、どこかいいところはないかな?」

「ご案内致します」

「ありがとう」

 ノアの指示で、兵士たちが先導を始めた。タブレットを乗せたカートは静かにモーターを回しながら彼らの後をついていく。
 アーノルドは一瞥をくれ、少し離れたところからその行方を見守りながら歩き出した。

 ――インワーゲンは嘘をついている。


 生前の彼の論理的思考能力、それを再現する演算処理装置は、確かにこのタブレットに搭載されているものでも事足りる。
 が、それのみでは従来的な人工知能のようにただ与えられた命令に従って演算処理を遂行するばかりで、いわゆる自由意思なるものを有するに至ることもなければ、人間のようにその振る舞いにユニークな性格を帯びるということもない(命令に従って”演じる”ことは可能)。

 ならばどのように人間の精神を再現するかと言えば――これはタキオン粒子の働きによる。
 17世紀の哲学者デカルトは、人間の精神と肉体(物質)を媒介するものとして動物精気の存在を想定したが、タキオン粒子はまさにこの動物精気のような働きをしているとされる。
 すなわち、他の物質とは異なる位相に存在するタキオン粒子が、精神の存在する場(物質的にでない)と物質的な脳とを媒介しており、脳はタキオン粒子を介して特定の精神にアクセスするためのポートの役割を担っているのである。

 インワーゲンは、自身の脳のこの働きを再現する装置(=タキオンドライヴ/Tachyon Drive)を製作し、それによって自身の分身を生み出した。
 しかし、その装置はカートおよびタブレットには搭載されていない。
 インワーゲンのタキオンドライヴは、彼のカナダの別荘にある。
 また、論理的思考能力を再現するコンピュータもまた、同様にカナダにある。

 つまるところこのタブレット端末は、アーノルドが懸念した通り、外部からの受信した映像を表示しているに過ぎないのであって、博士がタブレットに宿っているなどというのは真っ赤なウソというわけだ。
 タキオン粒子を用いた通信(ノックドアップ通信)。それによってカナダの本体は、電波によらずタブレット越しの会話を実現していたのである。

 第三世代ヒューマノイド――私や今のインワーゲンの有り様を、かつての文明ではそう呼ぶ。

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