[RIDE THE LIGHTNING] Chapter15

 夜の丘に、低く広がる邸宅があった。
 灯りのない窓はすべて黒く揃い、庇の下で外壁の線だけが月明かりを受けている。
 闇の中でも形を崩さず、静かな塊としてそこにあった。

 再び盗みを働くためにスラムを後にしたマイケは、RIDE THE LIGHTNINGと分離し、元の少女の身体でいた。
 邸宅の門前で、マイケは傍らに立つRIDE THE LIGHTNINGに語り掛ける。

「ここ、俺がよく風呂を借りてる家なんだ」

 塀をよじ登り、乗り越える。

「あ、アンドレイにセンサーを切らせたのは一部だけだから――」

 マイケが言い切るより先に、RIDE THE LIGHTNGの両肩のシールドと、両足首の装甲がそれぞれ展開し、ゆっくりと浮上。
 門を超え、敷地内でふわっと着地。
 展開した装甲が閉じられる。

『これでいいか?』

 門の方を振り返り、一部始終を眺めていたマイケは少し面食らったような顔をして、「ああ」と返す。

〔アイオワ州アイオワ・シティ グレゴリオ暦2061年9月20日 09:48 p.m. -6〕

 マイケに先導され、真っ暗な廊下を歩み進めながらRIDE THE LIGHTNINGはマイケに問う。

『ここからも金を盗むのか?』 

 RIDE THE LIGHTNINGの咽頭のスピーカーから発せられたその音声は、静寂に包まれた屋敷の中で反響した。

「いや、風呂を使わせてもらって、その上金までとったら悪いだろ」

『そういうものか』

 廊下の先に一つ、隙間から光を漏らす扉を見止める。
 マイケはその扉の前で立ち止まると、ドアノブに手をかけ、開け放つ。

 明るい照明に照らされた、近代的な作りのバスルームは、シャンプーの容器やコップが整頓され、輝きを放つ大理石の床には水垢一つない。
 どこを見ても新品同様であった――ただ一点、洗面台の大きくひび割れた鏡を除いては。

『他の家ではマズいのか?』

「マズかないが……俺、歯ブラシとかここに置いてるし、今更他の家ってのも他人ん家みたいで落ち着かないし……」

 マイケは、RIDE THE LIGHTNINGが割れた鏡の方を向きながら問うていたことに気づく。

「ああ、俺が割ったんだ。鬱陶しいから」

『そうか』

 RIDE THE LIGHTNINGはそのように返すとともに、頭部をマイケの方に向ける。
 マイケはRIDE THE LIGHTNINGを睨む。
 睨みつけながら、羽織っていたコートの襟に手をかけてみせる。
 しかし、RIDE THE LIGHTNINGがバスルームの入口で仁王立ちしたまま動く素振りを見せないので、そのまま硬直する。

 暫しの沈黙の後、「なんで村の為をやる」と、マイケが問う。

『いけないか?』

 RIDE THE LIGHTNINGの返しに、マイケは一層目を細める。

「いや。そんなことはないが……だってお前、進化した人類を生み出すために、今いる人類総てを滅ぼそうってんだろ? それがあんな田舎町のスラムに恩を売ったりして、どうしようってんだ」

『べつにどうということはない。ただ、お前たち人間は皆、私の子供のようなものだ。そういうものに求められれば、私の母性がくすぐられてこそばゆい気持ちになる』

 RIDE THE LIGHTNINGは微動だにせず、発した。
 これに、マイケは目を丸くする。

「母性? お、お前、女だったのか!?」

『気づかなかったか?』

「だって、お前は男の声をしている」

 マイケはそう言いつつ、襟を掴んだまま止まっていた手を動かし、コートを脱ぎだす。
 RIDE THE LIGHTNINGは問う。

『声に性の別があるのか?』

「逆に気づかなんだか!」

 マイケは声を荒げつつ、RIDE THE LIGHTNINGを注視したままバスルームの隅の洗濯籠に脱いだコートを放り込む。

『そういう風に考えたことはなかった』

「お前……」

 呆れ顔でパンツのウエストに両手をかけるマイケ。

『しかし、分かってしまうと意識してしまうものだな。どれ、女の声というものをだしてみるか……』

 RIDE THE LIGHTNINGは少しした後、『こうか?』と発話してみせた。
 その声は、マイケの声そのものだった。マイケにはそれが分かった。

 すでに膝の辺りまでパンツを脱ぎ、陰毛が処理された恥部を露わにしていたマイケは、その声を聞くや否や一気にしゃがみこみ、掴んでいたウエストを足首までずり下げる。
 マイケは俯いたまま言う。

「気色の悪い声。他のにしたほうがいい」

 RIDE THE LIGHTNINGの頭部が、再び割れた鏡の方に向けられる。

『すまない』と男声で発する。

「なにが」マイケは低く言う。

『いや……』

「そうだ。お前、俺と初めて会った時、女の姿をしていただろう」

『女の身体で出した声か。それを再現する……こうだろうか?』RIDE THE LIGHTNINGから、女性の声が発せられる。

「それ、フランの前ではやるなよ? 混乱するから」

『わかる』RIDE THE LIGHTNINGはもとの男声で応えた。

 マイケは首をかしげる。
 女性の声の特徴など、自分が生まれるよりずっと以前の生成AIですら掴めていたというのに、この(どう見ても現代のそれの遥か先を行く技術の結晶であろう)機械人形は何を言っているのだろうか、と。

 洗濯籠に目をやり、脱いだパンツをシュートする。

「そういや、母性がどうとかいうが、お前に心ってあるのか?」

 マイケが胸に巻いていたさらしを取り去ると、その下に隠れていたストラップレスのブラジャーが露わになる。

『私には人造の霊魂のようなものが備わっている。私もそのように感じる』

「それって、俺たち人間の感情と同じなのか? ……って、そもそもお前が俺たちを創ったんだものな」

『ああ。私を生み出した文明では、情念の仕組みはすでに解明されたものとされていた。私に搭載されたものも、私が君らに授けたものも、それに基づいて設計されている』

「ふぅん。じゃあ、俺もお前も同じってことだ」

『ボディは、まるで違うがな』

 マイケはブラジャーをさらしでぐるぐる巻きにして、まとめて洗濯籠に放りつつ思考を巡らせる。

 たとい人間と同じ感情が備わっていたとして、人間の身体と機械の身体ではものの感じ方も違うだろう。
 であれば、女性の声の特徴に気が付かないというのもそうおかしなことではない……のだろうか?
 RIDE THE LIGHTNINGとて、人の声を認識しているというのに?
 幾度も文明の創世から終焉までを見届けてきたというのに?

 だが、そんなことを考えても仕方なかろうと、マイケは立ち上がり、言い捨てる。

「しかし、俺たちと同じ感情を持つお前からして、今のこの世界ってのはどうなんだ? こんな有り様でも、お前がこれまで見てきた文明よりマシと思うか?」

 マイケはRIDE THE LIGHTNINGに背を向け、シャワーブースに入る。
 ガラス戸をぴしゃりと閉じ、蛇口を捻る。
 水の音が浴室に響く。

(それについて言うなら、申し訳ないがお前たちはかつての人類と大差はないのだ)

 会話は切り上げたつもりだったが――シャワーブースの外にいるはずのRIDE THE LIGHTNINGのその声がクリアに聞こえた。
 先刻までRIDE THE LIGHTNINGのボディにその意識を納め、RIDE THE LIGHTNINGのセンサー系による知覚をその意識に共有されていたマイケにとって、自身の意識に直接語り掛けられていることに気づくのは容易だった。

(そうなのか?)

 マイケは念じることで、RIDE THE LIGHTNINGに応答してみせた。
 それと同時に、先の伝心を含め、RIDE THE LIGHTNINGを介した知覚は、なんの違和感もなく受容できることを再確認する。

 RIDE THE LIGHTNINGは語る。

(私とて、理想の人類の条件として、皆が幸福であることは欠かせないものと考えている。だが同時に私には、人を人たらしめるために守らねばならない制約が課されている)

(制約?)

 マイケはそう念じつつ、壁面に備え付けられた小さなガラス窓――その奥には蜂蜜色のシャンプーがのぞいている――のすぐ下にあるポンプを押し、手のひらにシャンプーを受ける。
 髪で泡立てると、湯気に混じって、柑橘を思わせる清潔な香りが広がる。

(たとえば、理性のないものを人と呼べるだろうか?)

(それはそうだろうが……)

 そこまで念じたところで、泡が目に入りそうになり、片目を閉じる。
 開いた方の目で、ガラスの向こうのRIDE THE LIGHTNINGを見る。
 そして続ける。

(人間らしさを保ったまま幸せな世界を作るのって、そんなに難しいことか? お互いに傷つけあわないだけの知性だとか、感受性だとかを与えてやればいいだけだろう)

(もちろんそれも試した。が、彼らは強化された感受性によって自分や他人の痛みに敏感になる一方で、高度な知性ゆえに何もかもを、愛や喜びさえも問い、疑わずにはいられなかった。孤独に怯えながら、傷つくこと、傷つけることが怖くて孤独にならざるを得ない。ゆえに決して満たされない。明らかな失敗だった)

(けど、気が利いて、優しくて、幸せそうなやつっているよな? そう見えるだけか?)

 出しっぱなしにしていた水流に頭を突っ込み、シャンプーを洗い流す。

(いや。そういう人間は確かにいる。だがそれは――運だ)

(運?)

 まだ泡は残っていたが、マイケはシャワーから顔を出して、RIDE THE LIGHTNINGの方へと向き直った。
 が、すぐ顔を背け、水流の中に頭を突っ込む。

(環境に恵まれ、出会いに恵まれ、経験に恵まれればそうなる。だが、それは一部の者だけだ。全員ではない)

(お前の力で、人類全体をそうすることは?)

(……難しいな。私には、神のように地上全ての運命を支配する力はない。生まれた瞬間から完璧な道徳と良心を備え、それが後天的に変容することのない設計にすることは可能だが……)

(? それを理想の人類っていうんじゃないのか?)

 マイケはシャワーヘッドを逸らして水流が体に当たらないようにすると、スポンジにバニラの香りのする白いボディーソープを出して泡立てる。

(いや。人間の在り方は、その生得的な気質のみによって決定されるべきではない。生まれて以降の経験がその者になんら影響しないのであれば、人生は無価値だろうからだ)

 このマシーンは――変化のない人生なんてつまらない――というような経験に基づく感情論を語っているわけではないのだろう。

 人間が人生を通じて何ら変化することがないならば、その者は生まれた時点ですでに完成されている。否、RIDE THE LIGHTNINGがそのような人類をデザインしたとして、その設計図は完璧であるがゆえに、もはやそれを具現する意義すら失われるだろうという――論理だ。
 そしてその論理が今、生を通じて人間が変化することを肯定している。

 罪人であっても悔い改めることができれば神の国へと招かれるという、およそ2000年前に人類に授けられた福音。
 それが、今日の世界を貫く普遍の論理によって確かめられた。
 マイケには、そんな風に感じられた。

(しかし、なら理想の人類ってのは――どうやって実現する?)

 スポンジで身体を撫でつつ、RIDE THE LIGHTNINGに目をやる。
 RIDE THE LIGHTNINGは先刻と全く変わらない仁王立ちの状態で静止していた。

(それは……分からない)

(エゴこそが人間、あの男はそう言っていたな。だとしたら、人間という在り方そのものが間違っているのかも)

 マイケは、自身の思念が筒抜けになっていることを忘れて心の中でそう呟いた。

(? なぜそう思う)

 RIDE THE LIGHTNINGの声が頭に響く。

(え……なぜだろう? 分からない)

 人間であることそれ自体の欠陥――自分の中に浮かんだそのアイデアを、マイケは反芻する。

 RIDE THE LIGHTNINGは、知性を例に挙げ、人を人たらしめるための制約が存すると語った。
 マイケはそういった、人が人である所以、最低条件のようなもの――知性のほかには、感性や、身体性のようなものも含まれるかもしれない――の内に根源的な問題が存する可能性を発想したのだ。

 ……今の人類社会には問題がある。これは、誰の目にも明らかだ。
 その原因を――俗人たちは何かしらの悪に求める。
 RIDE THE LIGHTNINGは運命に求めた。

 が、マイケが今口にしたことというのは――たとい悪が滅びようが、あるいはどれほどの運命が味方しようが、すなわちどれだけ優れた環境にあっても、その者が人間という形態をとる限り、真の意味での救済は叶わないということだろう。
 これはつまり、天国=神の国などあり得ないということだ(なんと背徳的な考えだろう!)。

 人間という在り方への不信、諦め。
 それが自分の内にある冷たさの正体なのだとしたら……

 

 身体の泡を流し終え、マイケはシャワーの水を止める。
 髪を絞り、水滴を落としている間に、天井の換気扇が湯気を吸い上げ、シャワーブース内の曇りが消え去る。
 シャワーブースを出たマイケは、バスタブに入り、湯を張る。
 組んだ腕をバスタブの縁にのせて、RIDE THE LIGHTNINGを見上げる。

「けど、それだけか?」マイケは口に出して問う。

『何がだ?』

「俺たちは死ぬようにできている。理想の人類を生み出そうってんなら、まずこの生物としての欠陥もどうにかしないといけないんじゃないのか?」

『アンドレイのことか』

「いや、アイツは気の毒だったが、人を殺す道具にやられたんだ。それで死ぬのは、おかしなことじゃないだろう。まあ、理想の人類なら、そもそもそんな道具なんて作らないのかもしれないが」

『ならば何が言いたい』

「俺たち人間は、細胞の寿命で120年ぽっちしか生きられないって言うよな? その上大抵は、それより前に病気やら何やらで死ぬから、寿命はもっと短くなる」

『永遠の命の実現は技術的にそこまで難しいことではない。現に、私と融合しているお前の身体は、現状の状態が保持されるようになっている』

 RIDE THE LIGHTNINGの言を聞くマイケの表情はみるみる内に明るくなった。

「えっ、本当かい!?」バスタブから身を乗り出し、興奮気味に叫ぶ。

 そして、湯を跳ねさせながら勢いよく飛び出すと、洗面台へと駆け寄り、洗面器に転がった鏡の破片を手に取る。
 そこに映る自身の顔を舐めるように見る。

「そっか、俺って可愛いんだ……フランも俺と同じに出来るか?」

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