[RIDE THE LIGHTNING] Chapter17
夜の丘に、低く広がる邸宅があった。
灯りのない窓はすべて黒く揃い、庇の下で外壁の線だけが月明かりを受けている。
闇の中でも形を崩さず、静かな塊としてそこにあった。
再び盗みを働くためにスラムを後にしたマイケは、RIDE THE LIGHTNINGと分離し、元の少女の身体でいた。
邸宅の門前で、マイケは傍らに立つRIDE THE LIGHTNINGに語り掛ける。
「ここ、俺がよく風呂を借りてる家なんだ」
塀をよじ登り、乗り越える。
「あ、アンドレイにセンサーを切らせたのは一部だけだから――」
マイケが言い切るより先に、RIDE THE LIGHTNGの両肩のシールドと、両足首の装甲がそれぞれ展開し、ゆっくりと浮上。
門を超え、敷地内でふわっと着地。
展開した装甲が閉じられる。
『これでいいか?』
門の方を振り返り、一部始終を眺めていたマイケは少し面食らったような顔をして、「ああ」と返す。
〔アイオワ州アイオワ・シティ グレゴリオ暦2061年9月20日 09:48 p.m. -6〕
マイケに先導され、真っ暗な廊下を歩み進めながらRIDE THE LIGHTNINGはマイケに問う。
『ここから金を盗むのか?』
RIDE THE LIGHTNINGの咽頭のスピーカーから発せられたその音声は、静寂に包まれた屋敷の中で反響した。
「いや、風呂を使わせてもらって、その上金までとったら悪いだろ」
『そういうものか』
廊下の先に一つ、隙間から光を漏らす扉を見止める。
マイケはその扉の前で立ち止まると、ドアノブに手をかけ、開け放つ。
明るい照明に照らされた、近代的な作りのバスルームは、シャンプーの容器やコップが整頓され、大理石の床には水垢一つなく輝きを放っていた。
どこを見ても新品同様であった――ただ一点、洗面台のひび割れた鏡を除いては。
『他の家ではマズいのか?』
「マズかないが……俺、歯ブラシとかここに置いてるし、今更他の家ってのも他人ん家みたいで落ち着かないし……」
マイケは、RIDE THE LIGHTNINGが割れた鏡の方を向きながら問うていたことに気づく。
「ああ、その鏡なら俺が割ったんだ。鬱陶しいから」
『そうか』
RIDE THE LIGHTNINGはそのように返すとともに、頭部をマイケの方に向ける。
マイケはRIDE THE LIGHTNINGを睨む。
睨みつけながら、羽織っていたコートの襟に手をかけてみせる。
しかし、RIDE THE LIGHTNINGがバスルームの入口で仁王立ちしたまま動く素振りを見せないので、そのまま硬直する。
暫しの沈黙の後、「なんで村の為をやる」と、マイケが問う。
『いけないか?』
RIDE THE LIGHTNINGの返しに、マイケは一層目を細める。
「いや。そんなことはないが……だってお前、進化した人類を生み出すために、今いる人類総てを滅ぼそうってんだろ? それがあんな田舎町のスラムに恩を売ったりして、どうしようってんだ」
『べつにどうということはない。ただ、お前たち人間は皆、私の子供のようなものだ。そういうものに求められれば、私の母性がくすぐられてこそばゆい気持ちになる』
RIDE THE LIGHTNINGは微動だにせず、発した。
これに、マイケは目を丸くする。
「母性? お、お前、女だったのか!?」
『気づかなかったか?』
「だって、お前は男の声をしている」
マイケはそう言いつつ、襟を掴んだまま止まっていた手を動かし、コートを脱ぎだす。
RIDE THE LIGHTNINGは問う。
『声に性の別があるのか?』
「逆に気づかなんだか!」
マイケは声を荒げつつ、RIDE THE LIGHTNINGを注視したままバスルームの隅の洗濯籠に脱いだコートを放り込む。
『そういう風に考えたことはなかった』
「お前……」
呆れ顔でパンツのウエストに両手をかけるマイケ。
『しかし、分かってしまうと意識してしまうものだな。どれ、女の声というものをだしてみるか……』
RIDE THE LIGHTNINGは少しした後、『こうか?』と発話してみせた。
その声は、マイケの声そのものだった。
膝の辺りまでパンツを脱いでいたマイケは、その声を聞くや否や一気にしゃがみこみ、掴んでいたウエストを足首までずり下げる。
マイケはしゃがんだまま、RIDE THE LIGHTNINGを見上げて言う。
「気色の悪い声。他のにしたほうがいい」
『お前は、自分の有様を見せられると、気恥ずかしくなって、そういう風に言う癖があるのだな。あの男の時もそうだった』
「なっ――」
『気にしていない素振りをすれば、面白くなくなって、おちょくるのをやめてくれるものだと思っているのかもしれないが、あの写真、まだ消去されていないぞ?』
「アイツ……!」
『しかし、私もお前の機嫌を損ねるのは本望ではない。教えてくれ。女の声とはどんなだ?』
「はあ? 女の声ってのは、高いんだ」
マイケはそのように答えながら、女性の声の特徴など、自分が生まれるよりずっと以前の生成AIですら掴めているのに、この(どう見ても現代のそれの遥か先を行く技術の結晶であろう)機械人形は何を言っているんだと疑問に思った。
が、そんなことを考えたところで仕方がないと、洗濯籠に目をやり、脱いだパンツをシュートした。
『そうなのか……これでどうか』
RIDE THE LIGHTNINGが出したその声は、ただ闇雲にピッチを上げただけの声だった。
テレビ番組に登場する匿名の証言者のような声だった。
「なにか変だ……その、そこまで高くしなくてもいいけど、代わりに、その声の引っ掛かりというか、淀みを取るんだ」
『こうか?』
「うーん、なんだこの不愉快さは……あ、そうだ。お前、俺と初めて会った時、女の姿をしていただろう。あの時の声は自然だった」
『女の身体に擬態していたからな。声帯が女のものなら、女の声が出るというものか。あの時の声をサンプリングする……これでどうか』
「そうそう。あっ、それ、フランの前ではやるなよ? 混乱するから」
『わかる』RIDE THE LIGHTNINGはもとの男声で応えた。
マイケが胸に巻いていたさらしを取り去ると、その下に隠れていたストラップレスのブラジャーが露わになる。
「しかし、母性がどうとかいうが、お前に心ってあるのか?」
『私には人造の霊魂のようなものが備わっている。私もそのように感じる』
「それって、俺たち人間の感情と同じなのか? ……って、そもそもお前が俺たちを創ったんだものな」
『ああ。私を生み出した文明では、感情の仕組みはすでに解明されたものとされていた。私に搭載されたものも、私が君らに授けたものも、それに基づいて設計されている』
「ふぅん。じゃあ、俺もお前も同じってことだ」
『ボディは、まるで違うがな』
マイケはブラジャーをさらしでぐるぐる巻きにして、まとめて洗濯籠に放りつつ思考を巡らせる。
そうだ。人間の身体と機械の身体ではものの感じ方も違うだろう。
であれば、女性の声の特徴に気が付かないというのもそうおかしいことではない……のだろうか?
RIDE THE LIGHTNINGとて、人の声を認識しているというのに?
幾度も文明の創世から終焉までを見届けてきたというのに?
だが、そんなことを考えても仕方なかろうと、マイケは立ち上がりながらパンティを下ろし、両脚を抜きつつ言い捨てる。
「しかし、俺たちと同じ感情を持つお前からして、今のこの世界ってのはどうなんだ? こんな有り様でも、お前がこれまで見てきた文明よりはマシと思うか?」
マイケはRIDE THE LIGHTNINGに背を向け、シャワーブースに入る。
ガラス戸をぴしゃりと閉じ、蛇口を捻る。
水の音が浴室に響く。
(それについて言うなら、申し訳ないがお前たちはかつての人類と大差はないのだ)
会話は切り上げたつもりだったが――シャワーブースの外にいるはずのRIDE THE LIGHTNINGのその声がクリアに聞こえた。
先刻までRIDE THE LIGHTNINGのボディにその意識を納め、RIDE THE LIGHTNINGのセンサー系による知覚をその意識に共有されていたマイケが、自身の意識に直接語り掛けられていることに気づくのに、そう時間は要さなかった。
(そうなのか?)
マイケは念じることで、RIDE THE LIGHTNINGに応答してみせた。
それと同時に、先の伝心を含め、RIDE THE LIGHTNINGを介した知覚は、なんの違和感もなく受容できることを再確認する。
RIDE THE LIGHTNINGは語る。
(私とて、理想の人類の条件として、皆が幸福であることは欠かせないものと考えている。それは私を生み出した者とて同じだ。だが同時に私には、人を人たらしめるために守らねばならない制約が課されている)
(制約?)
マイケはそう念じつつ、壁面のニッチに置かれたボトルのポンプを押し、蜂蜜色のシャンプーを手に受ける。
髪で泡立てると、湯気に混じって、柑橘を思わせる清潔な香りが広がる。
(たとえば、理性のないものを人と呼べるだろうか?)
(それはそうだろうが……人間らしさを保ったまま幸せな世界を作るのって、そんなに難しいことか? お互いに傷つけあわないだけの知性だとか、感受性だとかを与えてやれば済むんじゃないのか?)
(当然それも試したが、強化された知性で他者を欺き、出し抜くようになっただけだった)
(感受性を、優しさを同時に強化してもか?)
泡が目に入りそうになり、片目を閉じる。
開いた方の目で、ガラスの向こうのRIDE THE LIGHTNINGを見る。
(感受性というのは、誰よりもまず自分自身に対して向けられる。だから、単純に感受性を強化するだけでは、優しさを強化することにはならない)
(そうなのか)
出しっぱなしにしていた水流に頭を突っ込み、シャンプーを洗い流す。
(逆に、感受性を抑えてやっても、それはそれで利己的な振舞いをするようになる。無論、どれだけ優しくとも、十分な知性なしに善は成せない。気持ちだけでも――とは言うが、過ちや誤解を繰り返してばかりいては……)
(おい、今なんて)
まだ泡は残っていたが、マイケはシャワーから顔を出して、RIDE THE LIGHTNINGの方へと向き直った。
(知性は不可欠だと)
頭を流しながらでも、伝心ははっきりと聞こえる。
そのことに気づいたマイケは、恥ずかしそうにRIDE THE LIGHTNINGから顔を背け、再び頭を水流の中に突っ込む。
横目でRIDE THE LIGHTNINGを見つめつつ念じる。
(いや、その前だ。知性がなければ、どれだけ優しくてもって。優しい人類は可能なのか?)
(もちろん可能だ。感受性を高めるだけでは自分が可愛くなるだけだと言ったが、自分よりも他人に向ける感受性の方が強くなるように調整してやれば、自ずと他人に優しく振舞うようになる)
(それでなぜいけない)
マイケはシャワーヘッドを逸らして水流が体に当たらないようにすると、スポンジにバニラの香りのする白いボディーソープを出して泡立てる。
水が壁面に当たって、シャワーブースの中が一層湯気で白くなる。
(自分自身に向けられる感受性、エゴを抑制された人類は、個々がひたすらに群体の中の一個体、一構成員としての機能を全うする歯車のように振舞う。彼らは互いに気遣い、助け合うが、その思い思われにの中に喜びを見出すことはない。それを感ずるエゴを持たないからだ)
(あの男も、そんなようなことを言っていたな)
マイケはスポンジで身体を撫でつつ、RIDE THE LIGHTNINGに目をやる。
RIDE THE LIGHTNINGは先刻と全く変わらない仁王立ちの状態で静止していた。
(では、一定のエゴを持ちながら、自分を想う以上に強く他者を気遣うように調整すればどうなるかといえば――確かに人間らしく愛し合い、思いやるようになる。他者を思いやる気持ちは、自分を大切に思う感情がまずあって、その上でさらに他者を同じように大切に思うことではじめて成立するからだ。だが、彼らは自分を想う気持ちを持ちながら、常に他人の幸福を優先するから、他人の為に自分をないがしろにしていると感じるようになる。これは不幸だ)
マイケはハッとした。
(それ分かるな。いつも誰かに遠慮して、相手が喜ぶ方ばかりをついつい選んでしまって。大した望みもないはずなのに、自分で選んだはずなのに、なぜだか虐げられているみたいに感じてしまって……あれ。もしかして俺って、それでお前に選ばれたのか?)
(ん?)
(俺が誰よりこの世界に疑問を持ってるって、お前言っただろ。それって、俺が他人のことばかり考えてるってことじゃないのか?)
(そうだな。誰よりも他人を思いやれるお前が幸せになれるような世界なら、それは理想郷と呼べるかもしれない)
(俺、優しいのか)
マイケはシャワーの水を止めた。
髪を絞り、水滴を落としている間に、天井の換気扇が湯気を吸い上げ、シャワーブース内の曇りは消え去った。
シャワーブースを出たマイケは、バスタブに入り、湯を張る。
組んだ腕をバスタブの縁にのせて、RIDE THE LIGHTNINGを見上げる。
「けど、それだけでいいのか?」マイケは口に出して問う。
『何がだ?』
「俺たちは死ぬようにできている。理想の人類を生み出そうってんなら、この欠陥はどうにかしないといけないんじゃないのか?」
『アンドレイのことか』
「いや、アイツは気の毒だったが、人を殺す道具にやられたんだ。それで死ぬのは、おかしなことじゃないだろう。まあ、さっきの話で言えば、理想の人類なら、そもそもそんな道具なんて作らないんだろうが」
『ならば何が言いたい』
「俺たち人間は、細胞の寿命で120年ぽっちしか生きられないってんだろ? その上大抵は、それより前に病気やら何やらで死ぬから、寿命はもっと短くなる」
『永遠の命の実現は技術的にそこまで難しいことではない。現に、私と融合しているお前の身体は、現状の状態が保持されるようになっている』
RIDE THE LIGHTNINGの言を聞くマイケの表情はみるみる内に明るくなった。
「えっ、本当かい!?」バスタブから身を乗り出し、興奮気味に叫ぶ。
そして、湯を跳ねさせながら勢いよく飛び出すと、洗面台へと駆け寄り、洗面器に転がった鏡の破片を手に取る。
そこに映る自身の顔を舐めるように見る。
「歳をとることはないんだね?」
『ああ。だが必要なら、他の人間と同じように年を重ねられるようにも――』
RIDE THE LIGHTNINGがそう言いかけたところで、マイケはムスッとした顔で振り向き、
「要らないよ、そんなの」と言い放つ。
そして、彼女の関心は再び自らの容貌を映す鏡に戻る。
マイケは呟く。
「……そっか、俺って可愛いんだ」
『気に入ってもらえたようでなによりだ』
「フランも俺と同じに出来るか?」
『もちろん可能だが……他の者はいいのか?』
「うーん……いや、いいよ。年を重ねてくたばるつもりで生きてるやつらを、いきなりそんな風にしてやったってかえって迷惑だろう。フランだけでいいよ」
『そうか。ならば、キャンプに戻った後でそうしよう』
* * *
それからバスタブに戻ったマイケに、RIDE THE LIGHTNINGは、人類を不老不死とすることの課題を語った。
マイケはその理屈を理解はしている様子だったし、強く反論することもなかった。
が、納得はいっていないようだった。
入浴を終え、新しい下着とさらし布の上から、履いてきたパンツとコートを着なおす。
バスルームを立ち去るマイケを、その後ろからRIDE THE LIGHTNINGが呼び止める。
『マイケ、忘れ物だ』
RIDE THE LIGHTNINGが差し出したのは――マイケが首に下げていたロケットだった。
しかし、マイケはそれを関心なさげに眺めた後、
「それはもう要らないものだ。その辺に捨て置いてくれていい」とだけ言って、とっととバスルームから歩き去ってしまった。
RIDE THE LIGHTNINGはロケットを展開して見る。
中には女性の姿を納めた写真が納められていたが、その顔は黒のマーカーで塗りつぶされていた。
写真の女性はマイケに似た茶色い髪、褐色の肌で、首筋にやや老いが現れていた。
