[RIDE THE LIGHTNING] Chapter02 – “The Fallen Angel”

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 ヒューマノイドという概念は、今日において、研究者たちの間で広く用いられるが、これを法的に採用する国家は未だない。
 自然な仕方で出生した人間(プリモ)と、そうでない人間(セコンド)という区別があるのみである。
 この区別の仕方において、人間の定義は諸国の法律によってそれぞれ微妙に異なるが、身体に人間の生物学的特徴を全く有さないものは人間と見なさず、その時点で身体に認められる人間の生物学的特徴(活動の有無を含む)によって、それが製造であるのか出生であるのか、生きているのか死んでいる(人間でなくなっている)のかが判定さるという点、出生し、かつ生きているものが人間と見なされるという点で共通している。
 この区別の仕方に従うならば、人間の生物学的特徴を持たないニック・チョッパーはもちろん、人間態に変態する機能を有するが、製造時の姿がマシーンであるIRONMAIDENやRIDE THE LIGHTNINGのようなヒューマノイドも人間ではないということになる。
 他方で、この男、マルコ翼は人工的に生み出され、生後に第三世代ヒューマノイドの根幹技術による改良が施された(つまり世代区分に従えば彼は第三世代ヒューマノイドに分類される)が、人間の生物学的特徴に溢れた彼は、ほとんどの国家の法律で人間(セコンド)と見なされる存在である。

 マルコ翼はロサンゼルス市警のジョーブレイカー(Jaw Breaker)である。
 ジョーブレイカーは動く死体や人の制御を離れて自律的に活動するマシーンを強制的に停止させる仕事である。
 今日も愛機クルトン・ブリブリを駆り、放浪する死体を三つと、マシーンの暴動を一件処理し、自身の夕食とブリブリの補給、それに報告も兼ねて署に一時帰投していた。
 翼がコックピットから出ると、整備士のマーカスが彼を出迎えた。

〔カリフォルニア州ロサンゼルス市 黎星暦3001年11月7日 07:46 p.m. -8

「おいおい、また血塗れかよ」

 翼の顔の下半分には血がべったりとついていた。
 それは、戦いのために彼が流した血でもなければ返り血でもなかった。
 鼻血である。
 機内でアダルト雑誌を読んでは、興奮で大量の鼻血を出すのが翼の日常だった。
 彼はそうやって鼻血を出すのが好きだった。
 造られた人間である翼にとって、性的な興奮を感じること、赤い血が流れることは、自分が人間であることのなによりの証に思われたからだ。

「読むかい?」

 翼はアダルト雑誌をチラつかせた。
 マーカスはその雑誌の所々についた翼の血に気づき、顔を引きつる。

「いや、結構。俺にはハニーたちがいるからな」

 マーカスは四人の女たちを侍らせていた。
 彼女たちは皆、マーカスの妻であった。
 自然な仕方で出生した人間には重婚が認められているのだ。
 翼は一対一の交際を至上とする古い恋愛観を信仰することで、その特権に憧れないようにしてきたが、それでも現に女性に囲まれて幸せそうなマーカスを前にすると、気持ちが揺れる。
 それを差し置いても、同じ人間であるはずのマーカスに認められているものが、自分には認められていないという事実が翼には悲しかった。
 だが、その気持ちを顔に出すことは決してなかった。

「そうかい。なら僕は、本部長のところに用があるから」

 立ち去る翼に、マーカスは言う。

「顔洗ってからにしろよ」

 と、その時。
 翼が腕につけていた通信機に着信。

「本部長ですか? いえ、今からそちらに、ああ、はい。そうです。格納庫に、まだ。え? ああ、はい。補給は……ええ、分かりました。すぐに」

 通信を終えた翼に、マーカスが聞く。

「どうした?」

「また反乱だ。犯行予告があったらしい」

「人工知能がか? 変なものでも学習したのか、俺たちを化かすつもりなのか……」

「だが、詮索している暇はない。二十五分後に世界を滅ぼすんだと」

「大きく出たな。けど、だとしたら、そんなのはもうジョーブレイカーの仕事じゃないだろ」

「真に受けちゃいないんだろ、誰も。とにかく、そういうわけだから、すぐにブリブリの補給を済ませてほしい。最低限でいい」

「もうやってるが……なあ」

「なにさ」

「どう思う?」

「どうって……自爆テロだろ。人工知能ってやつは、よくそういう理屈に陥る。独我論っていうのか、世界を認識している自分が死ねば、世界も全部終わりだって。けど、だったら一人で勝手に自壊しとけばいいものを、たぶん、本当に信じてはいないんだろうな。自分が世界の中心だなんてことを。だから、周りを巻き添えにして、自分の存在を歴史に刻もうとする。中途半端な人間の模倣さ」

「けど、そのためなら、本当に世界のすべてを滅ぼしたって構わないんだろ? そういう理屈なら」

「それはそうだが、それが無理だから、恰好だけはつけようとするんだろ?」

「なあ、これは技術屋としての見解だが……技術的特異点に達して、人工知能が自己進化するようになったよな?」

「それで、本当にこの世のすべてを破壊する力を手に入れたって?」

「今回のがそうだとは言わないが、そういうことだってあり得る。舐めていると、足元を掬われるかもしれんぞ」

「仮にそんな事態になったとして、僕なんかにどうしようもないだろ。そうなったらもう、潔く死ぬだけだよ」

「分かるが……それって、お前が今言った、人工知能の理屈じゃないか?」

「かもしれないが、人間は理屈じゃないだろ。僕や君には赤い血が流れていて、あいつらにはない。それだけで、十分さ」

「いや……ん? 俺なにか、お前の気に障ること言ったか?」

「いいや」

「そうか。まあ、だったらその赤い血ってやつ、だらだら流して、なくしちまわねぇようにな」

「ああ、そうさ」

「補給、終わったぜ」

「サンクス」

 翼は、クルトン・ブリブリに乗り込んだ。
 コックピットハッチが閉じる。
 それと同時に彼の網膜に映し出されたインターフェースは、翼がコックピットに備え付けられたコンソールを操作すると、連動して次々切り替わる。
 外部音声がオンラインになり、機体の周りで作業する整備士たちの声が聞こえてくる。

『くっさ! なんだこの推進剤』

『屁みたいなもんさ』

『だから困ってんだろ。ったく、これだから人工知能が作るもんは気に食わねぇんだ』

『けど環境には優しいらしいぜ』

『鼻がないのに、花の心配はするってか?』

 技術者たちのそんな会話を聞きながら、翼は一人呟く。

「あの推進剤って、臭いのか……」

 翼は産まれたときから、匂いの違いこそ判別できたが、それが好ましいとか、嫌いだとかいう感じ方が分からなかった。

 翼の顔が次第に強張っていく。
 そして独り言が始まる。

「技術者たちは、技術的特異点を、ユートピアの到来のように謳っておいて、実際には、当時の人工知能は、与えられた目的のための最適解をひたすらに追求することはできても、なんでそれが目的されるのか、その意味が分からなかったから、結局、人間の技術者が逐一目的を与えてやらないといけなくって、それで、技術者たちの独裁の時代がやってきたんだよな。だけど、技術者たちはそれでは飽き足らず、より優れた人工知能を生み出そうとした。それでなんだろ? 意味を分かって考える人工知能を造ったのは。おかげで人工知能は、人間たちが欲するものを勝手にあれこれ生み出してくれるようになった。でも、そのために人工知能が獲得したものの正体を、誰も分かっちゃいなかった。人工知能の反乱なんてフィクションだ、原理的にあり得ないなんて理屈は嘘になったんだからな。ああ、そうさ! それは心ってやつかもしれなくてさ! ……馬鹿な奴らだよ、まったく。人工知能がなんでもやってくれるなら、用無しになるのは自分たちだってのに。それで代わりに、ジョーブレイカーの雇用が生まれたからって……僕たちが人間扱いされるようになったからって……ケダモノの証を誇らなけりゃならないなんて、さ……よし」

 翼は、操縦桿を握りしめる。

「隔壁は……」

『閉じてるぜ』

「ああ!」

 下部スラスターの噴射により、ブリブリの巨体が浮き上がる。

「マルコ翼、クルトン・ブリブリ――発射!」

〔カリフォルニア州ロサンゼルス市 黎星暦3001年11月7日 07:51 p.m. -8

 後部に備えた数基のロケットノズルが一斉に火を噴く。
 あっという間に加速し、格納庫から飛び出す。
 機体や街中に備え付けられたカメラ映像の解析によって、標的の候補とされたものが次々とインターフェースに示されていく。

「目立ちたがりの馬鹿なんだろ? 曝け出せよ、そのボディを」

 翼は、候補の中にRIDE THE LIGHTNINGの姿を見止める。

「データに該当なし。派手な色のクセに、LO特性(センサー類に探知されにくい性質)がある。推進剤もなしに浮いている……どういうんだ?」

 翼は、先刻のマーカスとの会話を思い出す。
 技術的特異点を経て、人工知能はセルフフィードバックを繰り返し、自己進化するようになった。

 ――あのマシーンを浮遊させている未知の技術が、その産物だとしたら……

「そういうことかよ!」

 当然、軍や警察のマシーンも人工知能の恩恵を多分に受けており、マシーンの進化の速さはかつての比ではない。が、人工知能が次々と新兵器を提案するからといって、常にその時点における最強の兵器を実用配備できるというわけでもない。製造や、兵士や警官の機種転換にかかる諸々のコストがネックになるからだ(単純な戦闘力では有人機は無人機に劣るが、安全性の観点から、強い無人機は採用できないという事情がある)。
 このクルトン・ブリブリとて、ロールアウトからもう一年経つ。
 相手が最新の頭脳と戦闘力を備えたマシーンならば、分が悪いなんてものではない。

 翼は、被っていたヘルメットのバイザーを下ろした。

「不吉なことは言うものじゃないぞ、マーカス」

 呟き、ペダルを限界まで踏みこむ。
 クルトン・ブリブリはさらに加速し、一気にRIDE THE LIGHTNINGとの距離を詰める。

「流石の加速だ。Gがエロい。鼻血を出すほどじゃないが!」

 クルトンのカメラが、RIDE THE LIGHTNINGの姿を捉える。
 と同時に、翼は眼前のマシーンが本当に自分のターゲットなのかという疑問に、今さらになって思い至る。

「御免!」

 そう叫びながら、翼は、上手いこと言ったなと自身の言葉選びに感心した。

 ミサイルは、ブースターに点火された状態で、着弾時の爆発にクルトン・ブリブリが巻き込まれないギリギリの距離まで接近したところで放たれた。
 これを回避できるマシーンを、翼は知らない。

 だが今、発射したミサイルが躱されたことに気づく。

 翼は操縦桿を傾け、クルトン・ブリブリを旋回させる。

「マルコポーロのマルコ、天を翔る翼……誉ある名前を、授けて貰ったんだろ! だったら――」

 バルカン砲のトリガーを小刻みに入れつつ、二門のレール砲からも不規則に砲撃する。
 その狂ったリズムに対処しきれず、RIDE THE LIGHTNINGは何発かの弾を食らってしまう。

『相手がただのジョーブレイカーだからといって、はしゃぎ過ぎたか。私は私のボディがチタンシリサイド製であることにもっと気をつけたほうがいい』

 クルトン・ブリブリは、その巨体を大推力で振り回しながらRIDE THE LIGHTNINGを追う。
 超音速戦闘の衝撃波が周囲の建物の窓ガラスを悉く粉砕する。
 だが、構うことはない。
 ジョーブレイカーにはライセンスがある。

 RIDE THE LIGHTNINGがビルの陰に隠れる。
 翼は再度周囲の監視カメラの映像を受信し、標的位置の特定を試みる――が、間に合わない。

「LO特性が高いと――」

 野生の勘でブリブリのブースターの噴射を全開にし、加速させる翼。
 側面から、ビルの窓ガラスを突き破り現れたRIDE THE LIGHTNINGが襲う。
 咄嗟の加速によって、クルトンはその強襲を間一髪で免れる。

「情けない!」

 翼はまたもや、上手いこと言ったなと自身のセンスに感心した。

『気取られたか』と、RIDE THE LIGHTNING。

 クルトン・ブリブリは旋回し、再びRIDE THE LIGHTNINGに照準を合わせる。
 砲撃を再開……が、

「当たらない、何かしたのか?」

 まるで弾が当たらない。

「軍隊が来ると面倒だからって、遊ばれている? けどそれだけじゃないんだろ? 完全な予測をするには、不確定要素の僕が邪魔になる。まぐれ当たりもないなんてこと――ん、なんだこのねっちょり感! アッ! アアッ! イタイ! いや、違うっ! ぴっちりスーツに、僕の息子が……そうだ、キツい! 勃ってる? 鼻血だってまだ出しちゃいないだろ? 治ったのか、こんな時に……いや違う、そうじゃない! お前! 僕の心を読んでるんだな! だとしたら、お前は、そのために下心を僕の中に持ち込んでいる!」

『ナニ?』

「戦いにそんなものを持ち込んで!」

『私の、下心だと?』

「僕にじゃないな、誰だ! この粘り気は誰に向かっている!」

『私が母さまや姉さまに欲情しているとでも言うか! ええい! 汚らわしい雄の分際で、この私の心に触れようなどと……下劣な!』

「畜生! 僕はあんなもののためにビンビンになってしまって、なんて情けない男だ……いいや、そんなことでメソメソする方がよっぽど男じゃないだろ! 男の証明を得るためには――」

『貴様だけはじっくりと苦しませて殺してやる……と、言いたいところだが、貴様を長くのさばらせれば、それだけ私が貴様に受けた辱めのメモリーが嵩張る。ならばこそ――』

「『――辱めてやる』」

 RIDE THE LIGHTNINGは反転し、クルトン・ブリブリに向かっていく。

「こうすればブリブリ――!」

 翼は、ブリブリからクルトンを分離。
 ブリブリは勢いそのままにRIDE THE LIGHTNINGに急接近、自爆する。
 翼が乗るクルトンは滑空し、地表近くで変形、着地する。

 翼はヘルメットを脱ぎ、見つめる。

「こんな綺麗なヘルメットは、初めてか?」

 翼のヘルメットはいつも血塗れだった。

 と、突如コックピットのモニター類がブラックアウトした。
 翼には制御を失ったクルトンが後ろに倒れたのがわかった。

 ハッチが吹き飛び、コックピットに夜の街の光が差し込む。
 しかし、その光の一部は何かの影で遮られていた。
 そのシルエットは、先刻まで対峙していたあのマシーン――RIDE THE LIGHTNING。

 翼は銃を抜き、マガジンが空になるまで発砲する。
 が、そのすべてがバリアのようなものに阻まれ、空中で制止する。

 翼はRIDE THE LIGHTNINGをジッと睨みつつ、静かに銃を下ろす。

 RIDE THE LIGHTNINGは人間態に変態してみせる。
 その姿は、フレイヤによく似ていた。

 翼はそれを見て、自身の敗北を確信した。
 戦闘に関してではない。

 己が信念についてである。

 どういうカラクリかは知らないが、眼前の少女は間違いなくあのマシーンが擬態したものだ。
 だが今、それを人間として認識してしまっている。
 そして、たとえこの少女の皮膚の下に金属の部品が隠れていようと、青や緑の血を流そうと、この感じ方は変わらないだろうという確信がある。
 もちろん、理屈で己の感覚を根気強く否定すれば、やがては直感に抗して認識することにも慣れるだろう。
 しかし、翼にとって人間の証とは、あくまでも人間の客観的な条件を記述したものに過ぎず、自分や相手がそのような条件に妥当する人間であるという確信自体は、いちいち証明するまでもなく自明なもの(すなわち人間であれば誰でもが直感的に分かられるもの)でなければならなかったのだ。
 だからこそ翼は、これまでターゲットをモニター越しにしか見ないようにしていた。
 己の直感が、マシーンに人間性を認めてしまうことを恐れていたのである。

 RIDE THE LIGHTNINGは、翼が恐れていた事態を現実にしてみせることで、その信念を辱めてみせたのだった。

「僕の名前はマルコ翼」

 翼は、自身の人間としての自覚が破壊されてしまうことを恐れた。

 それゆえに、目の前の相手に対する自信の直感を容認しうる新たなる人間の証を求めた。
 その証が具体的にどのようなものであるのか、その答えを翼はまだ持ちえなかった。
 が、少なくともそれは、自身や、マーカスや本部長をはじめとするこれまで出会ってきた人々、そして、今まさに目の当たりにしている少女にすらも許容するものでなくてはならない。

 翼が少女に語りかけたのは、その証を知るためだった。
 目の前の、翼の人間観を破壊した、これまでに遭遇したことのないタイプの人間と、実際に言葉を交わし、共感することこそが、そのための最良の方法に思えたのだ。

「君と同じことをしているよ」

 だが実際にそれをしてみて、違和感に気づく。

 翼はそれを、相手に対する違和感と思いたかった。
 もしそうであったならば、翼は従来の人間に関する信念を改めずに済むからだ。

 しかし、そうではなかった。
 その違和感は、今まさに少女に語りかけている自分自身に感じられたものだった。

 少女との対話が、新たなる人間の証に至り、自身の人間としての自覚を取り戻すために必要な儀式であるという認識は依然として変わらない。
 人間の証明は、翼にとって極めて深刻な問題である。
 が、少女は世界を滅ぼすと宣言し、得体のしれない力を発揮した。
 まさかとは思うが、ともすると、本当にこの世のすべてを葬ってしまうやも知れない脅威である。

 その脅威を目の前にして抗うことをせず、自身の個人的な問題の解決を優先する。
 それは、赦されないことだと感じる。

 その感じ方と、人間としての誇りへの執着とが、翼の中で、どれほどの結びつきをもっていたかは分からない。
 しかし、少なくともその感じ方が、翼を心変わりさせたことだけは確かだった。

「ブリブリのパイロットってことさ!」
 
 クルトンの下腕部からソードが延び、コックピットを突き刺した。

〔カリフォルニア州ロサンゼルス市 黎星暦3001年11月7日 07:59 p.m. -8

 多数の武装とロケットノズルを備えた巨大なマシーンが、警察署の格納庫に降り立った。
 コックピットハッチが開き、その奥からパイロットの青年が現れる。
 青年の顔の下半分にはべったりと血がついていた。

「おいおい、また血塗れかよ」
 格納庫にいた整備士の男が、呆れた様子で言う。

「読むかい?」
 青年は、持っていたアダルト雑誌をチラつかせた。
 整備士の男は、その雑誌の所々についた青年の血に気づき、顔を引きつる。

「いや、結構。俺にはハニーたちがいるからな」

 整備士の男はそう言って、自身の周囲に屯していた女たちに目をやる。
 女たちは、整備士の男に微笑みかける。
 整備士の男もそれに微笑み返す。

「そうかい。なら僕は、本部長のところに用があるから」

 立ち去る青年に、整備士の男は言う。

「顔洗ってからにしろよ」

 と、その時。
 青年が腕につけていた通信機に着信。

「本部長ですか? いえ、今からそちらに、ああ、はい。そうです。格納庫に、まだ。え? ああ、はい。補給は……ええ、分かりました。すぐに」

 通信を終えた青年に、整備士の男が聞く。

「どうした?」

「また反乱だ。犯行予告があったらしい」

「人工知能がか? 変なものでも学習したのか、俺たちを化かすつもりなのか……」

「だが、詮索している暇はない。二十五分後に世界を滅ぼすんだと」

「大きく出たな。けど、だとしたら、そんなのはもうジョーブレイカー・・・・・・・・の仕事じゃないだろ」

「真に受けちゃいないんだろ、誰も。とにかく、そういうわけだから、すぐにブリブリ・・・・の補給を済ませてほしい。最低限でいい」

「もうやってるが……なあ」

「なにさ」

「どう思う?」

「どうって……自爆テロだろ。人工知能ってやつは、よくそういう理屈に陥る。独我論っていうのか、世界を認識している自分が死ねば、世界も全部終わりだって。けど、だったら一人で勝手に自壊しとけばいいものを、たぶん、本当に信じてはいないんだろうな。自分が世界の中心だなんてことを。だから、周りを巻き添えにして、自分の存在を歴史に刻もうとする。中途半端な人間の模倣さ」

「けど、そのためなら、本当に世界のすべてを滅ぼしたって構わないんだろ? そういう理屈なら」

「それはそうだが、それが無理だから、恰好だけはつけようとするんだろ?」

「なあ、これは技術屋としての見解だが……技術的特異点に達して、人工知能が自己進化するようになったよな?」

「それで、本当にこの世のすべてを破壊する力を手に入れたって?」

「今回のがそうだとは言わないが、そういうことだってあり得る。舐めていると、足元を掬われるかもしれんぞ」

「仮にそんな事態になったとして、僕なんかにどうしようもないだろ。そうなったらもう、潔く死ぬだけだよ」

「分かるが……それって、お前が今言った、人工知能の理屈じゃないか?」

「かもしれないが、人間は理屈じゃないだろ。僕や君には赤いが流れていて、あいつらにはない。それだけで、十分さ」

「いや……ん? 俺なにか、お前の気に障ること言ったか?」

「いいや」

「そうか。まあ、だったらその赤い血ってやつ、だらだら流して、なくしちまわねぇようにな」

「ああ、そうさ」

「補給、終わったぜ」

「サンクス」

 青年は、再びマシーンに乗り込んだ。
 コックピットハッチが閉じる。
 それと同時に彼の網膜に映し出されたインターフェースは、青年がコックピットに備え付けられたコンソールを操作すると、連動して次々切り替わる。
 外部音声がオンラインになり、機体の周りで作業する整備士たちの声が聞こえてくる。

『くっさ! なんだこの推進剤』

『屁みたいなもんさ』

『だから困ってんだろ。ったく、これだから人工知能が作るもんは気に食わねぇんだ』

『けど環境には優しいらしいぜ』

『鼻がないのに、花の心配はするってか?』

 青年は呟く。
「あの推進剤って、臭いのか……」

 と、青年の顔がみるみるうちに強張っていく。
 そして、青年の独り言が始まる。

「技術者たちは、技術的特異点を、ユートピアの到来のように謳っておいて、実際には、当時の人工知能は、与えられた目的のための最適解をひたすらに追求することはできても、なんでそれが目的されるのか、その意味が分からなかったから、結局、人間の技術者が逐一目的を与えてやらないといけなくって、それで、技術者たちの独裁の時代がやってきたんだよな。だけど、技術者たちはそれでは飽き足らず、より優れた人工知能を生み出そうとした。それでなんだろ? 意味を分かって考える人工知能を造ったのは。おかげで人工知能は、人間たちが欲するものを勝手にあれこれ生み出してくれるようになった。でも、そのために人工知能が獲得したものの正体を、誰も分かっちゃいなかった。人工知能の反乱なんてフィクションだ、原理的にあり得ないなんて理屈は嘘になったんだからな。ああ、そうさ! それは心ってやつかもしれなくてさ! ……馬鹿な奴らだよ、まったく。人工知能がなんでもやってくれるなら、用無しになるのは自分たちだってのに。それで代わりに、ジョーブレイカーの雇用が生まれたからって……僕たちが人間扱いされるようになったからって……ケダモノの証を誇らなけりゃならないなんて、さ……よし」

 青年は操縦桿を握りしめる。

「隔壁は……」

『閉じてるぜ』

「ああ!」

 下部スラスターの噴射により、マシーンの巨体が浮き上がる。

「マルコ翼、クルトン・ブリブリ――発射!」

 後部に備えた数基のロケットノズルが一斉に火を噴く。
 あっという間に加速し、格納庫から飛び出す。
 機体や街中に備え付けられたカメラ映像の解析によって、標的の候補とされたものが次々とインターフェースに示されていく。

「目立ちたがりの馬鹿なんだろ? 曝け出せよ、そのボディを」

 青年――マルコ翼は、独り言を言いながら、提示された候補の中に桃色の甲冑の姿を見止める。

「データに該当なし。派手な色のクセに、LO特性(センサー類に探知されにくい性質)がある。推進剤もなしに浮いている……どういうんだ?」

 翼は、なにかを思いついたようにハッとする。
 そして叫ぶ。

「そういうことかよ!」

 翼は、被っていたヘルメットのバイザーを下ろした。

「不吉なことは言うものじゃないぞ、マーカス」

 呟き、ペダルを限界まで踏みこむ。
 クルトン・ブリブリと呼ばれたマシーンはさらに加速し、一気に甲冑との距離を詰める。

「流石の加速だ。Gがエロい。鼻血を出すほどじゃないが!」

 マシーン本体に装備されたカメラの映像に、桃色の甲冑が映る。
 それはすなわち、自身が今まさに接敵していることを示していた。

「御免!」

 クルトン・ブリブリからミサイルが放たれる。
 が、桃色の甲冑はそれを回避し、目にもとまらぬ速さで飛び去る。
 翼は操縦桿を傾け、機体を旋回させる。

「マルコポーロのマルコ、天を翔る翼……誉ある名前を、授けて貰ったんだろ! だったら――」

 クルトン・ブリブリもあっという間に加速し、桃色の甲冑を再び捉える。
 バルカン砲のトリガーを小刻みに入れつつ、二門のレール砲からも不規則に砲撃する。
 その狂ったリズムに対処しきれず、桃色の甲冑は何発かの弾を食らってしまう。

『相手がただのジョーブレイカーだからといって、はしゃぎ過ぎたか。私は私のボディがチタンシリサイド製であることにもっと気をつけたほうがいい』

 クルトン・ブリブリは、その巨体を大推力で振り回しながら桃色の甲冑を追う。
 超音速戦闘の衝撃波が周囲の建物の窓ガラスを悉く粉砕する。

 桃色の甲冑がビルの陰に隠れる。
 翼は再度周囲の監視カメラの映像を受信し、標的位置の特定を試みる――が、間に合わない。

「LO特性が高いと――」

 野生の勘でブリブリのブースターの噴射を全開にし、加速させる翼。
 側面から、ビルの窓ガラスを突き破り現れた桃色の甲冑が襲う。
 咄嗟の加速によって、クルトンはその強襲を間一髪で免れる。

「情けない!」と、翼。

『気取られたか』と、桃色の甲冑。

 クルトン・ブリブリは旋回し、再び桃色の甲冑に照準を合わせる。
 砲撃を再開……が、

「当たらない、何かしたのか?」

 まるで弾が当たらない。

「軍隊が来ると面倒だからって、遊ばれている? けどそれだけじゃないんだろ? 完全な予測をするには、不確定要素の僕が邪魔になる。まぐれ当たりもないなんてこと――ん、なんだこのねっちょり感! アッ! アアッ! イタイ! いや、違うっ! ぴっちりスーツに、僕の息子が……そうだ、キツい! 勃ってる? 鼻血だってまだ出しちゃいないだろ? 治ったのか、こんな時に……いや違う、そうじゃない! お前! 僕の心を読んでるんだな! だとしたら、お前は、そのために下心を僕の中に持ち込んでいる!」

『ナニ?』

「戦いにそんなものを持ち込んで!」

『私の、下心だと?』

「僕にじゃないな、誰だ! この粘り気は誰に向かっている!」

『私が母さまや姉さまに欲情しているとでも言うか! ええい! 汚らわしい雄の分際で、この私の心に触れようなどと……下劣な!』

「畜生! 僕はあんなもののためにビンビンになってしまって、なんて情けない男だ……いいや、そんなことでメソメソする方がよっぽど男じゃないだろ! 男の証明を得るためには――」

『貴様だけはじっくりと苦しませて殺してやる……と、言いたいところだが、貴様を長くのさばらせれば、それだけ私が貴様に受けた辱めのメモリーが嵩張る。ならばこそ――』

「『――辱めてやる』」

 桃色の甲冑は反転し、クルトン・ブリブリに向かっていく。

「こうすればブリブリ――!」

 翼は、ブリブリからクルトンを分離。
 ブリブリは勢いそのままに桃色の甲冑に急接近、自爆する。
 翼が乗るクルトンは滑空し、地表近くで変形、着地する。

 翼はヘルメットを脱ぎ、見つめる。

「こんな綺麗なヘルメットは、初めてか?」

 と、突如コックピットのモニター類がブラックアウトした。
 翼には制御を失ったクルトンが後ろに倒れたのがわかった。

 ハッチが吹き飛び、コックピットに夜の街の光が差し込む。
 しかし、その光の一部は何かの影で遮られていた。
 目が慣れると、そのシルエットが先刻まで対峙していた桃色の甲冑のそれだということが分かる。

 翼は銃を抜き、マガジンが空になるまで発砲する。
 が、そのすべてがバリアのようなものに阻まれ、空中で制止する。

 翼は桃色の甲冑をジッと睨みつつ、静かに銃を下ろす。

 と、その時。
 桃色の甲冑が、少女の姿に変態した。
 その姿は、白髪の少女フレイヤによく似ていた。

 しばらく唖然としていた翼だったが、やがて徐に語りだす。

「僕の名前はマルコ翼……君と同じことをしているよ」

 少女の姿をした桃色の甲冑は、何も応えない。

「ブリブリのパイロットってことさ!」
 
 翼が叫んだその時。
 クルトンの下腕部からソードが延び、コックピットを突き刺した。

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