[RIDE THE LIGHTNING] Chapter26

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 アイオワの軍事基地は、雨上がりの曇天の下で薄暗く沈んでいた。滑走路にはC-17とC-130がずらりと並び、濡れた機体が鈍い光を反射している。エンジンの唸りが湿った空気を震わせ、貨物ランプ脇には水溜まりに浸かった木箱やコンテナが散乱していた。厚い灰色の雲が低く垂れ込め、遠くでかすかな雷鳴が響き渡っていた。

「基地がお引越しをするの?」C-130の後方で、ジョンはアーノルドに問う。

「そうなんだ、急なんだが……」と、アーノルド。

「ママも?」

「ママはワシントンの病院だ」

「そうなんだ」

「さあ、こっちだ」

 アーノルドはジョンの背後に回ると、その両肩に手をのせ、後ろから押すようにして、兵士たちの乗る輸送機へと乗り込む。

「おい、ちょっとそこ通してくれ。ハハハ。そう、私の息子だ。ほら、ジョン。みんなにちゃんと挨拶するんだぞ」

 アーノルドは、ジョンや兵士たちを不安にさせぬよう陽気に振舞って見せる。
 ジョンは座席に座る一人の若い兵士の前に立つ。
 その兵士は両手を膝の上で組み、俯き、何やら思いつめた様子だった。
 兵士は少しして、ようやくジョンに気づき、顔を上げる。

「こんにちは」と、ジョン。

 兵士は少し緊張した様子で、口角を上げて言う。

「やあ、ジョン。久しぶり」

「なんだ、ジョン相手にタジタジか? ジョンは可愛いからなあ」

 アーノルドはそう言ってジョンの頭をわしゃわしゃと撫でる。
 ジョンはアーノルドを見上げて言う。

「パパ、ちょっとおかしいよ」

 アーノルドは、そこではじめて輸送機に乗る兵士たちの鋭い視線が自身に集まっていることに気づく。
 未だかつてない異常な事態から察したのか、士官の誰かが漏らしたのか、はたまたシャイニングの噂がもう広まったのか、ともかく、兵士たちは皆、事の深刻さを理解しており、アーノルドは、自身の振舞いによって、彼らを苛立たせてしまったのだと悟った。
 アーノルドは俯いた。

「准将」と、デイヴがアーノルドに声をかける。

「なんだね」

「ミズーリの空軍基地から、B-2 スピリットが発進しました」

 B-2 スピリット――それは、B83核爆弾の投下にも使用されるステルス戦略爆撃機。

「なんだと!? どういうわけだ」

「おそらく、マイケ・フォードの一味がもう空港に」

「ええい」

 アーノルドは、基地の各所に設置されたスピーカーと接続された端末を起動した。

「総員、積み込み作業を中断し、輸送機に乗り込め。繰り返す。積み込み作業は中断だ。荷物は置いて、直ちに輸送機に乗るんだ」

 アーノルドは端末をオフにし、デイヴに問う。

「スピリットが目標に到達するまでの時間は?」

「2、30分といったところでしょうか」

「……どれだけ助かる」

「昨晩の内に、軍関係者の家族は基地に集めましたから……それも完全ではありませんが」

 命令で、軍が基地を退去するという事実を市民に公表することは禁じられていた。
 仮にこれを犯し、ホワイトハウスにそのことが知られたならば、最悪の場合、基地からの退去を待たずして攻撃が行われるということもあり得た。
 かといって、兵士や士官らに家族を置き去りにさせ、そこに米国の核が落ちようものなら、彼らの軍組織への、米国への信頼が損なわれるどころでは済まないだろう。軍属らが武器とともに離反し、レジスタンスに合流するということもあるだろうし、そうなれば大統領は、その拠点を重大な脅威と見做し、再び核を落とすかもしれない。それだけは、なんとしてでも避けねばならない。
 そこでアーノルドは、軍関係者の全員に、訓練と称し、昨晩の内に家族を軍施設に移送するよう命じた。訓練終了後に名簿と照合し、移送漏れが確認された場合には減給処分を科すと添えて。
 結果として、軍関係者家族の7割の移送に成功していた。

「君の奥さんと娘さんは?」

「Reach 507に。しかし、今からそちらに乗り換えている余裕はなさそうですね」

「ああ……昨日の内に、市民を集めておくべきだった」

「間に合いっこありません」

「そんなことはないだろう。一日もあれば、やれたはずだ」

「……確かになんとかなったかもしれませんね。街の住人・・・・だけなら」

 アーノルドは、そう言われてハッとした。
 そして、デイヴから目を逸らす。

「そうだな」

「そうです」

 アーノルドは、再び端末を手にする。

「よし。では各員、周囲を見渡し、乗り遅れた者がいないか確認しろ。10秒待つ……よし。では順次離陸せよ」

〔アイオワ州グライムス グレゴリオ暦2061年9月22日 10:18 a.m. -6〕

 最初の輸送機が離陸し、次の輸送機が滑走路に進入する。
 と、その時。

「お、おい……あれ……」

 兵士の一人が窓の向こうを指さす。
 その先には、基地を囲うフェンスの向こうに大勢の市民が集まっているのが見える。
 彼らは何かを叫んでいるようだった。
 一人の市民が、基地に進入しようとフェンスに飛びかかり、感電し、倒れ込む。
 フェンスの向こうのざわめきがより一層大きくなる。
 輸送機の兵士たちもどよめく。

「どうしたReach 504、遅れているぞ」と、アーノルド。

「准将殿」若い兵士が言う。

「なにか」

「彼らは乗せないのですか」

「訓練は事前に予定したとおりに実施されるものだ。予定にない行動はしない」

「ただの……訓練なのですね?」

「そうだ。訓練として、実施されている」

「ではあの人たちは何です? フェンスをよじ登ろうとして、ひっくり返った。あれも訓練の一部ですか?」

「……そうだ」

 若い兵士は深呼吸をすると、まっすぐとアーノルドの目を見て、

「では私は、あの市民の救護に向かいます」と言った。

 そして、若い兵士はアーノルドに敬礼すると、他の乗員たちをよけながら、輸送機後方のハッチへと向かっていった。

「それは……」

 言いよどむアーノルドに、さらに別の兵士が駆け寄ってきて、敬礼しつつ言う。

「私も、兵士として、成すべきことをしてきます。訓練として」

 それに続いて、幾人かの兵士らが輸送機を降りて行った。
 静まり返る機内で、アーノルドは一人、去り行く兵士たちの背を見つめて敬礼をした。

「ハッチ閉じろ」

 感極まっていたアーノルドは、デイヴが放ったその一言で我に返った。
 ハッチの閉鎖が始まり、機内が再びどよめく。

「Reach 508が離陸しました」と、デイヴ。

「あ、ああ……そうだな」

 ハッチが完全に閉じ、アーノルドの乗る輸送機が動き出した。

「おい、それって本当か?」兵士の一人が声を荒らげた。

「どうした」

「俺の娘と嫁さんが、はす向かいさんと同じ機体に乗ってねえって!」

 慌てる兵士の肩に、隣にいた兵士が優しく手をのせる。

「落ち着け。きっと、他の機体に乗ってるんだよ」

「あ、ああ……そうだな……」

 兵士が落ち着きを取り戻したのを確認すると、アーノルドは言う。

「よし、離陸だ」

 と、兵士が再び慌てだす。

「……待て! なにするつもりだ! やめ、やめろぉ!」

「お、おい! そいつを取り押さえろ!」

 アーノルドが怒鳴る。

「下にまだ嫁さんがいるかもしれないんだ!」

「もしかして、俺の家族もまだ下に……?」

 兵士を宥めた兵士もまた疑心暗鬼に。

「おい、お前ら! 落ち着け!」

「そうだ、これは訓練だ! 訓練なんだ!」

「嘘つけ! 俺はみんな知ってんだ! 核が落ちてくるんだろ!」

「これは訓練だ!」

「放せ!」

「落ち着け! 仮に、仮にそうだとして! 貴様の家族は手前で連れてきたんだろ!」

「嫁さんだってここの職員だよ! けど、今日はそういう日だから、便所に行ってるかもしれないだろ! 娘も一緒かもしれないだろ!」

 その様子を腕組みしながら見ていたデイヴは、唇の端を歪めて小さく笑うと、

「見るに堪えんな」と呟いた。

「中佐!」と、アーノルドはデイヴを咎めるように言う。

「失礼。しかし准将。基地の自爆プロセスをセットしなくては。もうじきリモコンが届かなくなる」

「それは……っ!」アーノルドは一瞬言葉を詰まらせ、デイヴを睨む。

「基地は核で完全には破壊されない。後始末はしなければいけません」

 アーノルドはデイヴを悲しげな目で見つめ、

「……そうだな」と、ため息交じりに言った。

 アーノルドが手に持っていたアタッシュケースを開くと、その内側には金属製のプレートがはめ込まれており、中央には黒いパネル状の端末が収められていた。端末のカードキーの挿入口と、指紋認証と思しき小さなスキャナ、それから規則的に点滅する赤色のLEDランプが目に入る。アーノルドには、その点滅が彼を急かしているように感じられ、煩わしく思えた。

 アーノルドは淡々とした様子でカードキーを挿入し、スキャナに指を触れた。
 「ARM SEQUENCE」の表示が浮かび上がる。
 短く息を吐き、スキャナを静かに押し込む。
 遠くで低いうなり音が響き始め、基地の各所から煙が立ち上った。

 アーノルドは窓の外を見つめ、押し寄せる虚しさに目を閉じた。

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