[RIDE THE LIGHTNING] Chapter32

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 アーノルドとデイヴが案内されたのは、滑走路群のさらに向こう側、鉄条網を二度くぐった先の荒涼とした草地だった。
 舗装は途中で途切れ、地面には乾ききった黄土色の土埃が薄く積もっている。
 遠巻きには格納庫の輪郭さえ見当たらず、低い地平線と鉛色の空がただ広がるばかりだ。

 そんな殺風景の中心に、ひときわ異質なシルエットが立っていた。
 くすんだ灰と深緑のコントラストで浮かび上がる半壊したレンガ壁――骨組みだけを残して丸ごと抉り取られた天井には、錆びた鉄骨が蜘蛛の脚のように伸び、半球形の枠だけが辛うじて形をとどめている。

「これは、広島の原爆ドームだろう。あなたは米国の軍事基地にこんなものを作るのか」

 デイヴはそう口にしつつ、興味深そうにその建造物を眺める。
 一方アーノルドは、建造物の周囲に植えられた無数の青い薔薇に目をやり、そこになにか当てつけのような意図を感じ、口をへの字に曲げた。

〔イリノイ州シカゴ グレゴリオ暦2061年9月22日 11:43 a.m. -6〕

「これ、有名なんですか?」と、ノア。

 アーノルドは、少々苛立ち気味に言う。

「広島平和記念碑――今から1世紀ほど前、太平洋戦争の折、米国が落とした核によって破壊された建物の跡だよ。これはそれを模したものだろう。君は私に、こんなものを見せに来たのか?」

 ノアはハッとし、縮こまる。

「核の……それは、大変失礼いたしました。私、歴史には疎いもので。ここは博士のラボなのですが――」

 アーノルドは、インワーゲンを睨みつける。
 インワーゲンは、とぼけたような調子で言う。

『私のではないよ』

「ええ。実はこちらに、准将に是非とも会っていただきたい方がおられまして。その方が、ラボをお見せしたいと」

 砕けたアーチの下をくぐると、そこは壁も床も崩れた煉瓦と瓦礫に埋もれ、吹き抜けになった天井から灰色の光が斜めに差し込んでいた。
 錆びた鉄骨が空に向かって枝分かれし、乾いた風が草地の砂塵を舞い上げる。

 がらんどうの床面、そのほぼ中央――瓦礫の海にぽつんと黒い立方体が立っている。
 鋼板で覆われたエレベータの乗降口だ。
 周囲に照明はなく、扉脇の小さなインジケータだけが緑色に瞬いている。
 異質なその光は、半世紀前の残骸のなかでひとつきりの人工の息づかいのようにも見えた。

 瓦礫を踏みしめ、埃の匂いの濃い空気を切り分けながら無言で箱の前へ進む。
 足元の煉瓦片が砕ける乾いた音が、骨組みだけのドームに反響し、すぐに空虚へ吸い込まれていく。

 金属扉が静かに左右に割れると、内部はかろうじて非常灯めいた淡い光に照らされ、網目の鉄床が闇に沈んでいた。
 皆が籠に乗り込むと、扉は閉ざされ、外界の薄光が切り離される。

 次の瞬間、重い制動が解け、籠は下方へ沈み始めた。鋼索の軋む低音が瓦礫の静寂を破り、昏い竪穴を落ちる振動が足裏から身体へと伝わる。

「なぜラボを地下に?」と、デイヴはノアに問う。

「我が国は、アレーテイアによるものとされる国内の混乱によって国力を著しく損ね、現在では中国をはじめとした他の大国に対し大きく後れをとっています。大統領はこの現状を打開し、再び米国が世界の覇権を握るためには、米国が専有する先端技術を秘密裏に発展させる他ないと考えていました」

「理屈は分かるが……そうは言っても、中国を出し抜くのは容易ではなかろう」

 そう口にするアーノルドは、どこか上の空といった様子だ。

『もちろん。それこそ、世界の常識をひっくり返すような技術でもなければな』

「そんなものがここに?」と、デイヴ。

「しかし、今は他国との競争などよりも――」

 アーノルドが何かを言いかけると、ノアがそれを遮るように言う。

「ええ、RIDE THE LIGHTNING。あれは結局、核が投下されるより先に空港から飛び去ったと聞きます」

「そもそも、准将はやつとマイケ・フォードをどうするおつもりで?」

 デイヴの問いに、アーノルドは静かに口を開く。

「……確かに、あの力は脅威だ。が、彼らはまだ、何もしちゃいない」

『盗みは働いたがな』

 茶化すように言うインワーゲンをアーノルドは睨みつけるが、すぐさまそっぽを向き、続ける。

「そんなことは些細なことだ。殺されねばならないほどでは……いや、違う。違うな。今のアメリカに、そんな道理は通用しない。しかし、だとしてもだ。彼らが常識を超えた力を持っているからといって、あの核攻撃の正当性は絶対に認められん! ……結局のところ大統領は、いや、我々は、あの不当な攻撃によって、マイケ・フォードから仲間や、居場所を奪ってしまった。それが全てだ。これ以上彼女を刺激するのはかえってリスクだろうし、なにより、そのような正当性のない作戦に、兵たちを参加させるわけにもいかない。こんなことはもう沢山だ……そっとしておいてやろうじゃないか。多少の盗みも見逃そう。彼女が生きていくためには必要だろうし、それに……彼女は裕福な者の、使わない財のみを盗み、それを独り占めするようなことはせずに、スラムの人々に分配していたというじゃないか。そういう優しさを持った子ならば、力に溺れるようなことはないだろう……」

「よいのですか?」デイヴは問う。

「……万が一、万が一にも彼女が、目に余る過ちを犯した場合には、相応の対応をする。それで十分なはずだ」

 すると今度は、ノアがためらいがちに口を開く。
「しかし。彼女はよくても、RIDE THE LIGHTNINGは――」

 その瞬間、タブレットのスピーカーから、インワーゲンの声が割って入る。

『そうだ。言い忘れていたが、大統領に雇われた傭兵部隊が、そのマイケとかいう娘っ子の友達を拉致して、うっかり死なせてしまったらしい』

 アーノルドの顔が凍りつく。

「なんだと!?」

 インワーゲンの映像は、まるで反応を楽しむかのように、淡々と続ける。

『報告では不幸な事故だったそうだが、彼女はそうは思ってはいないだろう。傭兵たちは皆、惨い殺され方をしていたそうだ。案外、その日は近いやも知れんぞ? 彼女が人類に絶望し、それに呼応して、RIDE THE LIGHTNINGが進化の光を放つその日は』

 アーノルドは拳を握り、タブレットに詰め寄る。

「貴様――! もとはと言えば……っ! あなたが、大統領に助言を――」

 インワーゲンは、眉を軽く上げ、ひょうひょうと答える。

『私はただ、EMPやマイクロウェーブなら奴に効くかもしれんと言っただけだ。小娘を人質にとれだなどとは言っちゃいない』

 アーノルドは息を荒げ、怒りを抑える。唇を噛み、声を絞り出す。

「……失礼。分かりました。私も、楽観が過ぎたようです。あなたの言うように、マイケ・フォードとRIDE THE LIGHTNINGが米国、ひいては世界全体の脅威となる可能性は十二分にあると言えます。だからといって、先ほど申し上げた通り、こちらから攻撃を仕掛けるつもりはありませんが……対策は立てておくべきでしょう。あなたの研究がそのために有用だというのなら、是非ともお聞かせ願いたい」

 鈍い衝撃とともに籠が停止した。
 油圧のうなりが収まり、扉が再び左右へ割れる。

 ――天井から伸びた一条の光が廊下の床を照らしていた。
 その光のもとで、レンガ色のロングスカートを揺らしながらくるくると回り続ける女性のステップ音が、タン、タン……と硬質なコンクリートに響き渡る。
 床には鮮血と青い薔薇の花びらが散りばめられ、その渦を舞うかのように彼女はリズムを刻んでいる。

 足元には、彼女とまったく同じ顔立ちの女性が仰向けに倒れていた。
 胸には銀色の刃が深々と突き刺さり、血は床の凹凸を伝ってゆっくりと広がり、青い花びらを緋色に染めている。

 踊り手は回転を重ねながら、ふと振り向きざまに視線を横へ滑らせ、そのまま唇の端を微かに吊り上げた──その瞬間、静寂が歪むような甘い微笑みが回廊に浮かび上がり、すぐにまた血と薔薇の舞台に溶け込んでいった。

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