[RIDE THE LIGHTNING] Chapter38 – “When Johnny Comes Marching Home”
アーノルドの移動司令車のモニターには、乾ききった塩の大地の映像が映し出されていた。
「現れるでしょうか?」
「わからん」そう言いつつ、アーノルドはモニターの片隅に映る群衆に目をやる。
軍がこの地を決戦の場として選んだのは、民間人の被害を出さず、切り札であるIRONMAIDENのタキオンランチャーを気兼ねなく使用するためである。
 しかしながら、そもそもがパフォーマンスであるこの作戦は、全くの無観衆というわけにもいかない。
 司令部後方にプレスエリアが設置され、テレビ局のヘリやドローンが上空を飛び交う状況は、世論を納得させるためには仕方がないことと飲み込んだ。
しかし、よもやこの度の作戦情報までもがリークされようとは。
プレスエリアを飲み込むように、RIDE THE LIGHTNINGを崇める者や、この歴史的瞬間を一目見ようとする野次馬たちが殺到し、ブラックロック砂漠はもはや祭りのごとき様相を呈していた。
「彼らは間違いなく、奴が来ると信じているようですが」デイヴは皮肉げに唇の片端を上げた。「起こるかどうかも分からん戦いにしては、随分な見世物になったものです」
 観衆が掲げた色とりどりの旗が乾いた風にはためき、ポップコーンやフランクフルトの屋台まで出ている。
 アーノルドは、モニター中で風船を配るピエロを見つめて、吐き捨てるように言った。「我々は所詮、道化だよ」
その時だった。
 それまでざわめきに過ぎなかった群衆の声が、突如として地鳴りのような大歓声へと変わり、司令車内を震わせた。
 モニターの片隅では、崇拝者たちが一斉に乾湖の中心に向かって跪き、両手を天に掲げる異様な光景が広がっていた。
「将軍、あれを」と、デイヴ。
彼は無数に分割されたモニターの一つ、乾湖に設置された定点カメラの映像を指さした。
「メインスクリーンに」
オペレーターがその映像を中央のスクリーンに拡大表示した瞬間、司令車内の空気が凍りついた。
 先ほどまで何もなかったはずの、軍の防衛線と熱狂する群衆とのちょうど中間地点に、いつの間にか、桃色の甲冑が佇んでいた。
 陽炎がその輪郭を揺れめかせ、まるで蜃気楼のように、それはあまりにも静かに、そこに存在していた。
アーノルドは、乾いた唇を舐めた。
「……来たか」ヘッドセットを外し、固い決意を表情に浮かべる。「私が出る。奴と話さねばならん」
アーノルドは司令車のハッチを開け、一人、乾ききった塩の大地へと降り立った。
 軍の基本方針は、未知数の力を持つRIDE THE LIGHTNINGとの交戦を極力避けつつ、国民を納得させることにあった。
 IRONMAIDENも操れるとはいえ、本来の自律制御システムが休眠状態にある以上、その力の全てを発揮できるわけではない。
 その上マリアによれば、IRONMAIDENが記憶するRIDE THE LIGHTNINGの情報は、両者が造られた直後のものでしかないのだという。途方もない年月が経過した今、IRONMAIDENが未だ戦闘力の優位を保てているかは定かでないのだ。 
 ゆえに対話によって文明のリセットを阻止すること、あるいは文明を滅ぼすという話がインワーゲンの妄言に過ぎなかったと証明すること、それが軍の描く最良の結末だった。
 無論、相手が欺いている可能性は常に付きまとうが、それでも民衆の溜飲は幾分下がるだろう。
報道陣が殺到し、無数のマイクが差し出される。しかし、アーノルドはその全てを無言で振り払う。
 RIDE THE LIGHTNINGの説得が叶わなかった場合を想定し、軍はRIDE THE LIGHTNINGがマイケと行動を共にしている点に活路を見出していた。
 それが単なる気まぐれでないのであれば、マイケはRIDE THE LIGHTNINGにとってなんらかの、(少なくとも他の人間たちと比して)特別な価値を持つ存在ということになるだろう。
 そのマイケを説得することができれば、あるいは。
 しかし、そのためには、彼女の社会的な居場所を守る必要がある。
 幸い、リーク情報にマイケ・フォードの名は含まれていない。彼女のプライバシーを守ることで、作戦の成功率がいくらか上がる。
 会話の中でマイケの名が出る可能性を考慮すれば、拡声器の類を使うわけにはいかない。
アーノルドは、躊躇うことなく歩みを進める。
RIDE THE LIGHTNINGの間近まで迫り、足を止める。
 その瞬間だった。
 軍の防衛線から、軽快な、しかし場違いな軍楽隊の演奏が鳴り響いた。曲は「ジョニーが凱旋するとき」。
 報道陣のマイクに会話を拾わせないための、アーノルド自身の指示による演奏だったが、選曲は彼ではない。
 これはナンセンスだと、アーノルドは額に手をやり、空を仰ぐ。
 が、すぐに表情を戻し、目の前の脅威へと意識を集中させる。
「君の目的は何だ」
『理想の人類の創造だ』
アーノルドは無意識に、強く拳を握りしめた。
「そのために君は、我々現存人類を滅ぼすつもりというのは本当か」
『お前たちが失敗と見做されれば、そうなる』
見做されれば、というまるで他人事のような言い回しをアーノルドは聞き逃さなかった。
「その判断をするのは君か?」
『今回はマイケ次第だ』
 マイケ。その名を聞いた瞬間、アーノルドの動きがわずかに止まった。
 人類の命運が、一人の少女の感情という、最も不確かな要因に委ねられている。
 そのことに怒りさえを覚えるが、しかし、これは好都合だとアーノルドは引きつった笑みを浮かべる。
「なぜ彼女に拘る」
 やはりマイケが鍵だ。
 これでRIDE THE LIGHTNINGが彼女を友やパートナーと呼ぼうものなら御の字、自身にとって彼女が何者であるのかを上手く言い表せず、己が感情に困惑した素振りなどを見せてくれればなおよい。
 あとは専門家にレクチャーされた通りに揺さぶるだけだ。
『彼女こそが、裁きを下す者だからだ』
 裁きを下す者。
 その言葉の意味を、アーノルドは反芻した。
 なにか意味がありげにも聞こえるが、人類を滅ぼすかどうかはマイケ次第という先の言を単に言い換えただけのようにも聞こえる。
 しかし、マイケの役割として、形式的なものが返ってきてしまった。RIDE THE LIGHTNINGはこちらに付け入る隙を与えてはなかった。これは良くないパターンだ。
 緊張と困惑で押しつぶされそうになりつつ、アーノルドは言葉を編む。
「……つまり君は、これまで新しい人類を生み出す度に、その中から一人を選別し、その者に自分たちの文明の行く末を選択させてきた。というわけか」
その問いは、もはや駆け引きのための言葉ではなかった。
ただ、思考の中で浮かんだ仮説を、疑問を、そのまま口から吐き出しただけであった。
長台詞を言い終えた後のアーノルドは、兎にも角にも、まずは相手の目論見を把握しないことには交渉など成り立たないだろうと、だから先の自身の発言はベストだったのだと、そう自分に言い聞かせた。
『いや、今回だけだ』
アーノルドは一層困惑した。
今回だけとはどういうことだろうか。
 そもそもこいつの言は真実なのか。
 矮小な人間相手に、ハッタリを言う必要もないように思えるが、戯れで言うということもあり得るだろうか。
 あるいは存外軍が脅威と認識され、警戒されているということもあるだろうか。
いや、しかし、今はその言を真に受けるほかない。
 だとして、いったいどういうことだろうか。
 気まぐれで、趣向を変えてみたということだろうか。
 それとも、「裁きを下す者」などと仰々しい言い方ではあったが、やはりもっと人間的な、プライベートな感情でマイケを特別視しているということなのか。
アーノルドは、どれだけ思考を巡らせてもRIDE THE LIGHTNINGの真意にはたどり着けまいことを悟った。
 作戦の前に専門家どもからごちゃごちゃと、やれカウンセリングのテクニックだの、交渉術だのの指南を受けたが、最早そんなことを気にしながらでは会話にならない。
 こうなったら質問攻めにしてやる。と、
「それは一体どういう――」やけくそな質問を投げかけたその時だった。
『祈っているのか?』
 RIDE THE LIGHTNINGのボディから、独り言のような声が漏れた。マイケの声だ。
 その唐突な声に、同じボディから発せられる男声が、戸惑ったように重なる。
『マイケ?』
アーノルドは、その名を耳にして目を見開いた。
「マイケだと?」
 両者の戸惑いを無視し、桃色の甲冑は――マイケは音もなく浮上し、十数メートルほど高度をとる。
 信仰者らを見下ろす。
『天国に行きたいのか。そうか』
 刹那、祈りを捧げていた群衆の中心で、甲高い破裂音と共にオレンジ色の火球が膨れ上がった。
 爆風と熱波が人々を紙細工のように薙ぎ払い、数十の悲鳴が上がる間もなく途絶える。
その阿鼻叫喚の地獄絵図を、RIDE THE LIGHTNINGはただ静かに上空から見下ろしているだけだった。
司令車のモニターの一つに映るニュース映像から、アナウンサーの絶句する声が微かに聞こえた。
『媚びへつらい、首を垂れる。その賢しさで身を滅ぼしてしまったなぁ!』
 マイケの狂的な哄笑が、司令部との通信回線を介してアーノルドの耳にも届いた。
 オペレーターたちの悲鳴のような報告が飛び交う。「民間人に被害」「目標、崇拝者を攻撃」
 アーノルドは、繰り返し彼に呼びかけるノアの声を垂れ流すヘッドセットを地面に転がすと、宙に浮かぶ桃色の甲冑を見つめ、数歩後ずさる。
 そして、踵を返し、足早に司令車へと戻る。
 車内に戻ったアーノルドを、デイヴがモニターから目を離さずに迎えた。
 その声は、外の喧騒とは対照的に、どこまでも冷静だった。
「私には信じられませんでしたが、専門家はこのパターンも想定していました。交渉は継続できます」
アーノルドは、モニタに映るRIDE THE LIGHTNINGを睨みつつ言った。
「……ジョンを、臆病者の息子にするわけにはいかない」
デイヴはモニターから視線を外してアーノルドへと向き直る。
「お気持ちは分かりますが、ここは堪えてください。RIDE THE LIGHTNINGの戦闘能力は未知数、勝利は確実ではない。交戦は極力避けるべきです」
デイヴがさらに言葉を続けようとしたが、ノアは静かに手のひらを彼に向け、その言葉を遮った。
「これは政治的な判断が求められる局面です」ノアは続けて言い放つ。「一軍人に過ぎないあなたに口をはさむ資格はありません、中佐」 そして、アーノルドへと視線を移す。「将軍、ご指示を」
ノアの制止を意に介さず、デイヴはなおもアーノルドに呼びかけた。「将軍。対話による解決、それが最善の道です」
アーノルドは、静かに、しかし強い口調で言う。
「しかし、火は放たれた」と。
彼は、モニターに映る惨状から目を逸らすことなく続けた。
「和解の言葉など、もう誰も信じまい。我々が勝利すれば、国民は奴への不安から永遠に解放され、ジョンは英雄の息子になる。戦争、それが最善への道だ」
 アーノルドは、モニターに映る黒焦げの大地を一瞥すると、全軍通信のマイクを掴んだ。
 そして、吐き捨てるように、ただ一言、命じた。
「――魔女は火あぶりにする」その声は、乾湖の隅々にまで響き渡った。
デイヴは何も言わず、ただ静かにモニターへと視線を戻し、迫りくる戦闘に備えてコンソールを操作し始めた。
直後、戦場に奇妙な音が響き渡る。
るぷぷぷぷぷぷ。
るぷぷぷぷぷぷ。
まるで古びたSF映画に出てくる空飛ぶ円盤のような、低く、しかし鼓膜を震わせる駆動音。
 RIDE THE LIGHTNINGは、ゆっくりと天を仰いだ。 
 その視線の先、青空に一つの黒点を見止める。

 漆黒のヒューマノイド。
 その背には、昆虫の脚のようにも、あるいは堕天使の翼のようにも見える六対、十二本のアームが不気味に広げられている。
 そしてその右手に握られているのは、巨大な砲身――タキオンランチャー。
 防衛線にいた兵士たちが、空に現れた漆黒の救世主を見上げ、誰からともなく歓声を上げた。 
 桃色の甲冑の奥から、戸惑いの声が漏れた。
『……姉さま?』
 センサー性能に重きを置いたRIDE THE LIGHTNINGは、干渉を避けるべく出力を抑えたジェネレータ(=タキオンドライヴ)を搭載しており、その駆動音はほとんど無音に近い。
 対して、汎用ハイエンドタイプとして設計されたIRONMAIDENは、出力を重視したジェネレータを搭載している。
 戦場に鳴り響く心音は、その圧倒的な力の証左であった。
〔ネバダ州ブラックロック砂漠 グレゴリオ暦2061年10月2日 11:32 a.m. -8〕

