[RIDE THE LIGHTNING] Chapter06.5

 グライムスの街は、ほんの数年前までは静かな住宅街が広がっていたとは思えないほどに発展していた。これは、警察機構が崩壊し、軍が治安維持を担うようになって以来、都市機能が軍事基地の周辺に集約されるようになったためである。

 基地周辺の街には企業施設や教育機関、商業施設が立ち並び、外の街とはバリケードで隔てられている。
 もっとも、だからといって軍は、その街の中であっても犯罪に対するスタンスを変えることはないのだが、それでも、大規模なテロや暴動に巻き込まれる心配がないという安心は大きい。

 それに、安全確保のために基地に隣接された発電所の恩恵もある。
 夜の街を包む眩しい光は、電力の供給が安定しているなによりの証拠だ。

 税金は住民一人一人から確実に、それゆえより多く徴収されるが、それでも居住資格のあるほとんどの者達にとって、このような街に住むことはこれ以上ない選択であると言えるだろう(ちなみに、軍関係者は課税対象でない)。

〔アイオワ州グライムス グレゴリオ暦2061年9月18日 09:46 p.m. -6〕

「今日は何がいい?」

 デイヴ・クラプトンは愛車を走らせながら、後部座席に乗せた彼の部下に問うた。
 彼の愛車はレガシィB4。半世紀前のガソリン車である。

 ――真に環境に配慮した自動車とは何か。
 この問いを巡る長きにわたる論争は、核融合発電の実現によってようやくの決着を見た。
 そして、ガソリン車は世界中のほぼ全ての国で規制された。
 これは米国においても例外ではない……が、誰も取り締まる者のいない今となっては、その規制は無に等しい。加えて、法的にはガソリン車やガソリンスタンドは国内に存在し得ず、ゆえにそれらに対する税率も定められていない。
 ゆえにガソリン車の所有は、住民たちの交通手段、その有力な選択肢の一つとして浮上するのだ。
 とはいえ、新規製造が現在ほとんど行われていないために、ガソリン車を交通手段として選択する場合、デイヴのように中古車を見つけてきてそれをレストアする必要があるし、ガソリンとて相応に値が張る。
 だからこそあくまでも選択肢の一つに過ぎないわけだが、あえてガソリン車を選択する特別の利点があるとすれば、それはやはり、ヴィンテージとしての価値にあるだろう。

「そう言って、中佐はまた食わんのでしょう。悪いですよ」

「嫁さんが作った飯があるからな。しかし、好きでやってることだ。構うことはない」

「そういうわけにもいきません。家まで送ってもらって、食事まで毎日奢られていては変な噂だって立ちます」

「噂?」

「あー、例えばその、ゲイじゃないか?って」

「俺がか?」デイヴは失笑した。

「ええ」

「それを言ってるのは、士官じゃないだろ」

「そうです。この前、大佐は聞いていなかったかもしれませんが、通りがけに、兵たちがこちらを指して言ってましたよ」

「なら気にすることはない。ああいうのは鳴き声みたいなものだ」

「そういう言い方はよしてください。兵士を動物か何かみたいに……」

「リスペクトに欠けていると?」

「そうです。そういう見下しは、意図せず伝わってしまうものです」

「そういうつもりはないんだがな。士官と兵士とでは、相応しい考え方も振る舞いも違う」

「そうですか?」

「ああ。生の殺し合いに適応しようと思えば、そのための気構えが必要になる。そしてそれは、我々のそれと同じではないし、時には粗暴にも映る。だがだとしても、それは、彼らなりに自分たちの仕事に適応した結果だ。プロフェッショナルな姿勢だ。ならば、士官としての価値観で彼らを動物のように感じることと、異なるジャンルのプロフェッショナルとして彼らをリスペクトすることとは両立する」

「では士官の気構えとはなんです?」部下の男は、眉をひそめつつ問う。

「真面目な質問だな。勤務時間外ぐらいもっと楽にしろよ」

「あなたが真面目な話をしたからでしょう」

「それもそうか。まあ、そうだな……士官には空気を読んで、器用に立ち回ることが大事だ。それを抵抗なく自然にやるための気構えというと、リスペクトと慎重さだろうと思う」

「はあ」

 部下の男は、ここからどれだけ問答を重ねても、自分にはデイヴの言うリスペクトを解せないだろうと悟った。
 それに、そもそもこの話題自体、彼にとって楽しいものでもなかった。

「この曲、間奏長いですね」

 話題を変えるため、彼が指摘したのは、カーオーディオから流れていたイエスの”危機”であった。

「ん? ああ、古い曲だからな」

「この車とどっちが古いんです?」

「それを当てられたら、いつもよりいい店に連れてってやる」

「本当ですか? じゃあ……」

 と、言いつつ。
 部下の男は、今日はいつものケバブサンド屋でビーフケバブサンドを頼みたい気分だった。

 ゆえに、敢えて誤答を狙う。

 彼の推理はこうだ。
 ――伴奏が長い曲というのは、確かに珍しい。
 が、彼の知る限り昔の音楽というのは、電子的な音響効果を一切用いない管弦楽だ。
 そういう音楽に比べれば、今流れている音楽は遥かに現代的に聴こえる。
 対してガソリン車は、彼が生まれたときにはすでに絶滅していた。
 そして、ガソリン車の規制は、まず、この車のような自家用車に適用されたと聞く。
 であれば、より古いのは車の方。すると答えるべきは――

「音楽の方が古いんじゃないですか?」

「お、当たりだ」

「え」

 部下の男は一瞬困惑した。
 が、デイヴに変な気を遣わせても悪いと思い、すぐに喜んでみせる。

「やっぱり? そうだと思ったんですよ」

「ちょっと簡単すぎたか?」

「なんです? まさか、いい店に連れてく気なんて端からなかったとかじゃないですよね」

「まさか。あまり俺のお給金を甘く見るなよ」

「それはなにより。で、何の店なんです?」

「それは着いてからのお楽しみだ」

「そうですか……古い曲って、なんで間奏長いんですか?」

「べつに、古い曲全部がそうってわけじゃないさ。ただ、AIが作る曲はどれも万人にウケるよう最適化されてるから、長い間奏みたいな人を選ぶ特徴は抑えられてるってだけだろ」

 デイヴの言うAIとは、統合型生成AI(Integrated Generative Artificial Intelligence)のことである。
 2020年代に急速に発達した生成AIは、それからわずか5年足らずで、人間を完全に騙せるクオリティのものを安定して生成できるまでに成長したが、それでもなお、その生成物が人間のそれに完全に成り代わることが出来ずにいたのは、それらがレガシーを伴わなかったことによる。
 すなわち、どれだけ生成物のクオリティが向上したところで、それが人間の手で生み出されたという付加価値までをも再現することはできず、また、人々が人間の手で生み出されたものを好み、欲する世の中の実情までをも覆すことは叶わなかったということである。
 この問題をクリアしたのが、中国で発達した統合型生成AIである。
 統合型生成AIは、人間の人格を再現する疑似人格生成AIを核とし、疑似人格生成AIが各種インプットを反映しつつ逐次出力する人格パラメータを、各種生成AIが参照することによって、一貫した一個の人格者による各種活動を再現するものである。
 この仕組みによって、統合型生成AIはサイバー空間上に仮想の活動者を生み出し、そのSNS上での発言や、動画やライブ配信、ゲーム上での振る舞い、その者によるブログ、著書、歌、演奏、絵画、写真などを再現する。
 その圧倒的な生成精度と生成速度(2045年時点で、当時最新のミドルスペックPCで動画投稿者5人分、ミュージシャン1,000人分の活動を再現可能との試算)、コストパフォーマンス(核融合発電の実現による電気料金の急落による)、スキャンダル等のリスクの低さから、統合型生成AIの登場は、人間の活動者の大半を失業せしめたのであった。

「じゃあ作ろうと思えば作れるってことですか?」

「そらそうだろ。なんだ、作曲に興味があるのか?」

「ええ、少し」

 彼らの言う作曲とは、AIと対話しながら生成される楽曲を調整する作業のことである。
 無論彼らとて、声や楽器を使って音楽を奏でられることを知らないわけではない。
 しかし、読者諸君が洗濯と聞いて洗濯板を想起しないのと同様に、彼らもまた、いちいち手間のかかる、面倒な方法を想起しなかった。それだけのことなのである。

「そうかい。出来たら聴かせろよ」

「もちろんです。あれ、平気なんですか?」

「なにが」

「いえ。てっきり、最近の曲は聴かない主義かと」

「お前が作った曲なら聴くさ」

 二人を乗せた車が、寿司屋の駐車場に進入する。

「寿司ですか。いいですねぇ!」

 部下の男は、先刻までの思惑を忘れて寿司に燥いだ。

「ああ。寿司の本場で修業してきたシェフが、丹精込めて力いっぱい握りしめた、噛み応えのある寿司が食えるんだ」

 デイヴは、車のギアをバックに入れる。

「へぇー。寿司の本場……インド?」

「いや、韓国だよ」

 停車し、エンジンを切る。

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